リベリア内戦とは? わかりやすく解説

リベリア内戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 04:29 UTC 版)

サミュエル・ドウ」の記事における「リベリア内戦」の解説

内戦勃発から4年余り経た1990年9月9日戦況ドウ率いリベリア政府側にとって不利になる一方であり、NPFLから分派したプリンス・ジョンソン率いリベリア独立国民愛国戦線(INPFL)がついに首都モンロビア侵攻敗北必至となっていた。 側近のハリー・モニバ副大統領など閣僚からも辞任勧められ、もはやリベリア国内事態打開できる要素存在しなかった。ドウアメリカ彼の身柄保証してくれれば自分はすぐにでも大統領辞任してリベリア軍内の子飼い軍人とともに故郷であるグランドゲデ郡帰還するとして、モンロビアにあるアメリカ大使館協力懇願するが、ドウ政権崩壊はもはや避けられない見ていたアメリカ政府断られてしまう。 アメリカの介入見込めなくなった以上、ドウ最後頼み西アフリカ諸国経済共同体傘下軍事組織で、彼と親交のあるナイジェリアイブラヒム・ババンギダ大きな影響力を持つ西アフリカ諸国経済共同体監視団ECOMOGであったドウイスラエル訓練受けていた選りすぐり護衛90人を連れ大統領官邸からモンロビア郊外ECOMOG駐屯地向かった。そこで彼はINPFL講和戦争を終わらせたいとしてECOMOG参謀長ジョンソンとの仲介求めた要請受けたECOMOGINPFLドウ護衛と共にECOMOG駐屯地来ていること、そして彼の主張伝達したジョンソンは自らもドウと同じ考えであり、戦争終わらせる為今すぐにでもドウ話し合いたいECOMOG返答した。しかし、これはドウ騙し討ちにするための罠であった。 そんな事を知る由もないドウジョンソン回答満足しECOMOG駐屯地ジョンソンが来るのを待った一方ジョンソンドウ捕らえる為、20人程の兵士ECOMOG駐屯地送り込んだECOMOG駐屯地には武器持って入る事は禁止されていたため、ジープ武器隠して駐屯地侵入してきたINPFL兵たちは、まず司令部ドウ護衛皆殺しにし(彼らはECOMOG指示素直に従い武器駐屯地入り口置いていた為、丸腰であった。なお、ECOMOG兵士無事だった)、司令部内部乗り込んだECOMOG司令官であったガーナ軍のアーノルド・クアイノー将軍はこの事態にも抵抗することなくドウINPFLにあっさり引き渡した実際には、ECOMOGでは上記理由からコートジボワールブルキナファソドウ打倒のためにテーラー支援するなど、ドウ期待反して一致した行動をとれていなかったのである

※この「リベリア内戦」の解説は、「サミュエル・ドウ」の解説の一部です。
「リベリア内戦」を含む「サミュエル・ドウ」の記事については、「サミュエル・ドウ」の概要を参照ください。

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