1980年のクーデターとドウ独裁政権
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「リベリア内戦」の記事における「1980年のクーデターとドウ独裁政権」の解説
リベリアの政治は長くアメリカの解放奴隷の子孫であるアメリコ・ライベリアンのホイッグ党が支配しており、リベリアの先住民部族は彼らに差別と弾圧を受けてきた。しかし、アメリコ・ライベリアンの優位に不満を持つクラン族 (Krahn) 出身のサミュエル・ドウ軍曹率いる先住民部族が1980年に軍事クーデターを起こし、アメリコ・ライベリアンのウィリアム・R・トルバート大統領およびトルバートの下で働いた高官数名を殺害し、アメリコ・ライベリアンの政権を倒した。 ドウは政権を獲得したのち独裁政治を始め、ドウに反対する者の逮捕や処刑を進めていった。1985年11月12日にはギオ族 (Gio Tribe) 出身で1980年のドウのクーデターに参加していたトーマス・クィウォンパ将軍率いるギオ族とマノ族のメンバーらが、ドウ政権に反発し軍事クーデターを起こした。しかしこのクーデターは失敗し、クィウォンパらドウに逆らったギオ族とマノ族のグループらは同月15日に処刑された。その後ドウは、自身の出身部族であるクラン族のみで結成したリベリア軍(AFL) (Armed Forces of Liberia) をギオ族とマノ族が住む地域に派兵し、復讐のためギオ族とマノ族を虐殺した。 1986年の選挙でドウは大規模に不正を行い、大統領になった。翌1987年、アメリコ・ライベリアンのチャールズ・テーラーが、ドウの独裁政権を倒すためリビアでリベリア国民愛国戦線(NPFL、National Patriotic Front of Liberia)を結成し、ゲリラ戦の軍事訓練を受けた。
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