リバウドとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:55 UTC 版)
ロナウジーニョにとってロナウドは特別な存在であることは良く知られているが、リバウドとの関係はあまり知られていない。雑誌で、バルセロナ加入時に「リバウドやロナウドのような僕のアイドルのあとを追う事が出来て嬉しい」と語っている。 2002年の日韓大会でのイングランドの強力センターバック・コンビのソル・キャンベル、リオ・ファーディナンドを相手にカウンターでロナウジーニョがドリブルでひきつけてからのリバウドへのパスにより1点をもぎ取った。 2002年夏、ルイス・ファン・ハールの監督復帰によってリバウドとバルサの間に決定的な亀裂が生じた。このような状況の中、10番としてやってきたのがフアン・ロマン・リケルメであった。その後、リバウドはミランへと移籍。リケルメは後の2006年W杯でアルゼンチン代表の主軸を担う選手だが、彼はプレーにムラがあり、当時の監督ファン・ハールの戦術にもフィットしなかった。当時リバウドはジダンらと並び称される世界最高の選手の一人ながら、プレーやポジション、チームでの役割は異質なものがあり、その穴を埋めるのは至難の技だったと言える。そんな中バルサが目をつけたのが、当時パリ・サンジェルマンに所属していたロナウジーニョであった。 スペインはフランスと違いポルトガル語が通じやすい上に生活習慣にも共通点が多く、元々ロナウジーニョはスペインに行きたいという願望があった。そしてブラジル代表とFCバルセロナで10番を背負っていたリバウドの後釜としてカンプ・ノウの舞台に立ち、その上でタイトルの獲得、バロンドール、年間最優秀選手などの個人タイトルを獲得し、はては代表で背番号10を付けていく経緯は大変意味深である。結果的にはリバウドの辿ったミランへの移籍も決まった。
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