ラインラントの再武装
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「ラインラント進駐」の記事における「ラインラントの再武装」の解説
1936年1月、前年3月に再軍備宣言をしたアドルフ・ヒトラーは、ラインラントに軍を進めることを決め、2月12日、彼は国防大臣ヴェルナー・フォン・ブロンベルク将軍に意図を知らせ、陸軍総司令官ヴェルナー・フォン・フリッチュに歩兵大隊と砲兵中隊をラインラントに進めるに何日かかるかを聞いた。フリッチュは部隊編制に3日かかると答えた。彼自身は、ドイツ軍がフランス軍と戦争できる状態に無いと信じていたので、交渉での解決を望んでいた。ルートヴィヒ・ベック陸軍参謀総長はヒトラーに、ドイツ陸軍はフランス軍の反撃からドイツを防衛することはできないと警告した。ヒトラーは、フランス軍がドイツ軍の進軍を止めるために軍事介入を行うようであれば、ドイツ軍は即座に撤兵すると言ってフリッチュを安心させた。作戦は、冬季演習の秘匿名称の下に、フランス政府の省庁が休みになる土曜日に実施された。1936年3月7日、夜明け後すぐ、19個の歩兵大隊と、少数の航空機が非武装地帯のラインラントに入り、午前11時にはライン川右岸に到着、その後、3個大隊がライン川を渡った。しかしその頃偵察部隊が数千のフランス兵が独仏国境に集結しているとの報告をもたらした。ブロンベルク国防相はヒトラーに撤収を進言したが、ヒトラーは、フランス軍が国境を越えたかどうかを尋ね、越えていないと聞いて、ブロンベルクに何かがおきるまでフランス軍は何もしない、ただ待っているだけだと保証した。 第二次世界大戦後、フランス軍に尋問されたドイツ軍のハインツ・グデーリアン将軍は、「もし、1936年にフランス軍がラインラントに進軍すれば、我々は敗北し、ヒトラーは失脚していただろう。」と答えた。またヒトラーも、フランスが動かないという確信を持っていたわけではないと後年、以下のように述懐している。 「ラインラントへ兵を進めた後の48時間は私の人生で最も不安なときであった。もし、フランス軍がラインラントに進軍してきたら、貧弱な軍備のドイツ軍部隊は、反撃できずに、尻尾を巻いて逃げ出さなければいけなかった。」
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