ラインラントの殉教者伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 09:37 UTC 版)
「テーベ軍団」の記事における「ラインラントの殉教者伝」の解説
作者不明の『聖ゲレオン・・・の受難』( passio sanctorum Gereonis...)によれば、テーベ軍団の抵抗が排除された際、一部の隊員はすでに今日のラインラントに達していた。彼らは、ボン(聖カッシウスと聖フロレンティウス(St. Cassius und St. Florentius)と7ないし12人の戦友)、ケルン(聖ゲレオン (St. Gereon)と318人の戦友)、クサンテン(聖ヴィクトル (St. Viktor)と330人の戦友、聖マルロスス (St. Mallosus))で捉えられ、処刑されたとされる。 トリーアに伝わる伝説では、軍団はこの町の北部で処刑されたという。殉教者のものとされる無数の頭蓋骨や遺骨が今日までも同地の聖パウリン(St. Paulin) 教会に安置されている。この教会は元々ローマ時代の墓地の上に建てられたものである。
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