ヨーロッパのアメリカ大陸到達
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「大陸」の記事における「ヨーロッパのアメリカ大陸到達」の解説
クリストファー・コロンブスが大西洋を航海し西インド諸島に到達した1492年は、ヨーロッパ人のアメリカ大陸探査の口火となった。ただし、コロンブス自身は4度アメリカへ渡ったにもかかわらず、彼はそこがアジアの一部だと生涯信じていた。 1501年、アメリゴ・ヴェスプッチとゴンサロ・コエーリョ(en)が、彼らがインディアスと考えていた地を南下しインド洋へ抜ける海路を目指していた。ブラジル海岸を航海する一行は、この地が当時考えられていたアジアよりもはるかに南に伸び、その広さも大陸と呼ぶにふさわしい規模であることを確認した。ヨーロッパへの帰路、探検の報告はヴェスプッチの名前で『Mundus Novus』(「新世界」の意)という名で1502年または1503年に出版された。これには別人の加筆も疑われているが、ヴェスプッチの言葉「私は南の地に大陸を発見した。そこには、私たちのヨーロッパやアジア、アフリカと比べてもよりたくさんの人々や動物たちが息づいている」という言葉で明白な通り、彼はその大陸を既知の3大陸と区別している。 数年後にはオリヴェリアーナ(ペーサロ)の地図(1504 - 1505年ごろ)のように「新世界」を南アメリカと名づけた地図は作成されたが、まだ北アメリカはアジアとつながっていた。しかし1507年にマルティン・ヴァルトゼーミュラーが出版した地図『Universalis Cosmographia(en)』では、新大陸が水域でアジアと分けられた。この地図に添えられた付録冊子『宇宙誌入門(Cosmographiae Introductio)』でヴァルトゼーミュラーは、地球の陸地は4つに分けられ、ヨーロッパ、アジア、アフリカに次ぐ4番目の大陸をヴェスプッチのファーストネームにちなんで「アメリカ」と名づけたと記している。
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