ヨーロッパのアメリカ大陸到達とは? わかりやすく解説

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ヨーロッパのアメリカ大陸到達

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 02:39 UTC 版)

大陸」の記事における「ヨーロッパのアメリカ大陸到達」の解説

クリストファー・コロンブス大西洋航海し西インド諸島到達した1492年は、ヨーロッパ人アメリカ大陸探査口火となった。ただし、コロンブス自身4度アメリカ渡ったにもかかわらず、彼はそこがアジア一部だと生涯信じていた。 1501年アメリゴ・ヴェスプッチとゴンサロ・コエーリョ(en)が、彼らがインディアス考えていた地を南下しインド洋へ抜け海路目指していた。ブラジル海岸航海する一行は、この地が当時考えられていたアジアよりもはるかに南に伸び、その広さ大陸と呼ぶにふさわしい規模であることを確認したヨーロッパへ帰路探検報告ヴェスプッチの名前で『Mundus Novus』(「新世界」の意)という名で1502年または1503年出版された。これには別人加筆疑われているが、ヴェスプッチ言葉「私は南の地に大陸発見した。そこには、私たちヨーロッパアジアアフリカ比べてもよりたくさんの人々動物たちが息づいている」という言葉明白な通り、彼はその大陸既知の3大陸区別している。 数年後にはオリヴェリアーナ(ペーサロ)の地図1504 - 1505年ごろ)のように「新世界」南アメリカ名づけ地図作成されたが、まだ北アメリカアジアつながっていた。しかし1507年マルティン・ヴァルトゼーミュラー出版した地図『Universalis Cosmographia(en)』では、新大陸水域アジア分けられた。この地図添えられ付録冊子宇宙誌入門(Cosmographiae Introductio)』でヴァルトゼーミュラーは、地球陸地4つ分けられヨーロッパアジアアフリカに次ぐ4番目の大陸ヴェスプッチファーストネームにちなんで「アメリカ」と名づけたと記している。

※この「ヨーロッパのアメリカ大陸到達」の解説は、「大陸」の解説の一部です。
「ヨーロッパのアメリカ大陸到達」を含む「大陸」の記事については、「大陸」の概要を参照ください。

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