ヨハネの手紙三での言及とは? わかりやすく解説

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ヨハネの手紙三での言及

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/14 01:53 UTC 版)

デメトリオ」の記事における「ヨハネの手紙三での言及」の解説

ヨハネの手紙三』は非常に短い手紙であるが、その中で著者である「長老」は、自身対立しているというディオトレフェス(デオテレペス)を批判した後、デメトリオの名を唐突に挙げている。 9 わたしは少しばかり教会書きおくっておいたが、みんなのかしらになりたがっているデオテレペスが、わたしたちを受けいれてくれない10 だから、わたしがそちらへ行った時、彼のしわざを指摘しようと思う。彼は口ぎたなくわたしたちののしりそればかりか兄弟たちを受けいれようともせず、受けいれようとする人たちを妨げて教会から追い出している。11 愛する者よ。悪にならわないで、善にならいなさい。善を行う者は神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことのない者である。12 デメテリオについては、あらゆる人も、また真理そのものも、証明している。わたしたち証明している。そして、あなたが知っているとおり、わたしたちの証明真実である。 — 『ヨハネの手紙三11-12節、口語訳聖書 デメトリオがなぜ唐突に言及され賞賛されているのかについては、『ヨハネの手紙三』がデメトリオ紹介状のようなのだったからではないかとする説がある。この手紙は巡回伝道者たちの世話をしていたガイオという人物宛てられているので、「長老」がガイオの許に巡回伝道者デメトリオ派遣するにあたりデメトリオ信頼に足る人物であるとする紹介状持たせたというわけである。この説は少なからぬ文献挙げられているが、村上宣道はこの説を、デメトリオディオトレフェス後継として挙がっていたのではないかとする説とともにあくまでも推測に過ぎないとして、デメトリオへの言及理由不明としている。村上以外にも、デメトリオへの言及理由不明としている論者複数いる。 このほか、『ヨハネの手紙二』と『ヨハネの手紙三』は同一人物による著作とされることが多いのに対し、これら2通の書簡対立的なのだった見なす田川建三は、デメトリオディオトレフェス追放され被害者だったのではないか推測している。

※この「ヨハネの手紙三での言及」の解説は、「デメトリオ」の解説の一部です。
「ヨハネの手紙三での言及」を含む「デメトリオ」の記事については、「デメトリオ」の概要を参照ください。

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