ヨハネス20世との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 19:19 UTC 版)
「女教皇ヨハンナ」の記事における「ヨハネス20世との関係」の解説
女教皇ヨハネスと関連付けられる問題に、ヨハネス20世が公式の教皇一覧に決して登場しないという事実がある。これは、ヨハンナの存在を抹消するために教皇を数え直したからだと言われることがある。実際、ヨハネス21世が1276年に教皇になって間もない頃、10世紀のヨハネス14世とヨハネス15世の間に「もう一人の」教皇がいたという伝説が語られるようになっていた。オパヴァのマルティンは自分の年代記でこの教皇について触れている。現実には対立教皇ボニファティウス7世がその時に教皇位を占めていた。しかし、ヨハネス21世は「追加の」ヨハネス教皇の伝説に従って彼自身と14世以降の全ての教皇を数え直したのであり、史実からすれば彼は本来、ヨハネス20世のはずである。ゆえに教皇の数え方の混乱は女教皇の伝説とはまったく関係のないことである。
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