ヨハネの非難
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 14:55 UTC 版)
ルカ福音ではイエスは群集の一人としてヨハネのところへ赴き、洗礼を受けている。マタイ福音ではイエスの洗礼の場面ではイエスとヨハネ以外の登場人物はあらわれない。ルカとマタイではヨハネはファリサイ派とサドカイ派批判ととれる言葉をもって登場する。この批判はルカとマタイに固有のもので、二つが参照したと考えられるマルコ福音にはそのような批判は見られない。 マタイとルカでは、ヨハネは登場するや集まった人々を「まむしの子ら」と非難し、改心を求める。マルコにこのような箇所がないことから、このヨハネの言葉はQ資料に由来していると考えられている。ただ、マタイとルカでも違いはあり、ルカではヨハネが人々全体に非難の言葉を向けるが、マタイはファリサイ派やサドカイ派に限定している。ある学者たちによれば、ヨハネに近づいたファリサイ派の人々というのは決してヨハネに心酔したからではなく、自分たちの権威を脅かすものと警戒し、調査しようとしたためヨハネに非難されたという。歴史的にみればこの時期にファリサイ派とサドカイ派が共同してあらわれるというのは考えにくい、というのは神殿崩壊前の時期、両派はユダヤ人の中での主導権を握ろうと激しく対立していたからである。 なぜマタイはヨハネの非難を特定の人に向けたのだろうか。エドゥアルド・シュバイツァー(Eduard Schweizer)はマタイがルカと違ってユダヤ人を読者として想定したため、ユダヤ人全体を批判するような記述を避けたかったのではないかと考えた。そこでマタイ福音書の成立時にキリスト教徒と激しく対立したファリサイ派にその矛先を向けさせたというのである。もちろんすべての学者がこの考え方に同意しているわけではなく、単に「ファリサイ派とサドカイ派」という言い方でユダヤ人を総称しただけという見方もある。 「まむしの子」という言い方はおそらく創世記(3:14)に由来すると思われる当時の悪口の定型句であった。「まむしの子」という言い方で相手を罵倒する表現は、ここから生まれ、シェークスピアが『トロイラスとクレシダ』で用いているし、サマセット・モームの書いた『カタリナ』にも用例が見られる。
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