ヨゼフィーネの再発見(2002年から現在)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 17:15 UTC 版)
「不滅の恋人」の記事における「ヨゼフィーネの再発見(2002年から現在)」の解説
リータ・シュテープリン(2002年、2007年、2009年、2009年a)とスクワラ/シュテープリン(2007年)により、ヨーロッパの文書保管庫から重要な新発見がもたらされた。要点は次の2点に纏められる。 疎遠であったヨゼフィーネの夫のシュタッケルベルク男爵は、1812年7月の始め若しくは6月末から約2か月にわたり家を留守にしていたらしいことが、彼女の日誌に記されている。「今日は私には困難な1日だった - 運命の手は私の上で不気味に止まっている - 私自身の悲しみに加え子どもたちの堕落を目にしてしまい、そして - ほとんど - すべての勇気が私を見捨てたのだ - !!!(中略)シュタッケルベルクは私を1人にさせたがっている。彼は必要なものを請う声に無感覚だ。」また、シュテープリンは「規則表」と題された資料と、クリストフ・フォン・シュタッケルベルクの肉筆による7月5日から11日の日付の道徳的分類一覧を発見した。「こういうわけでこの文書全体は(中略)彼が(中略)自らの将来を熟考していた時期に書かれており、ヨゼフィーネが1812年の6月と7月に独りにされていたことを示すさらなる証拠であるのは間違いない。」 ヨゼフィーネは1812年6月にプラハへ行きたいという明確な意思を示していた。「私はプラハでリーベルトに会いたい。決して私から子どもたちを連れ去らせはしない。(中略)シュタッケルベルクのせいでやつれ、そして彼のせいで酷い苦痛と病に見舞われた。」 「新たな視点で古い資料を見直すと、ヨゼフィーネがベートーヴェンのただ1人の『不滅の恋人』であったと確信させられる。(中略)彼自身の様々な謎めいた評言を含め、ベートーヴェンの『不滅の恋人』との恋愛におけるパズルのような側面の全ては、彼が愛したと知られる人物 - ヨゼフィーネ - によって説明することができる。自分の心をとらえた女性はただ1人しかいないという彼自身の言葉に、どうして疑問を唱えられようか。」
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