ヨセミテ・グラント
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「ヨセミテ国立公園」の記事における「ヨセミテ・グラント」の解説
観光名所化が進むにつれて、ガレン・クラークや上院議員ジョン・コネスらは、乱開発を懸念してこの地域の保護を訴え始めた。法案が連邦議会の両院を通過し、大統領エイブラハム・リンカーンが1864年6月30日これに署名したことで、ヨセミテ・グラントが設立された。これは、連邦政府が保護と公共利用のために公園を指定した最初の例であり、後にイエローストーンが最初の国立公園として設立された際にも先例となった。ヨセミテ渓谷とマリポサ・グローブは、カリフォルニア州に州立公園として譲渡され、2年後に理事会が組織された。 ガレン・クラークは、理事会からヨセミテ・グラントの初代管理者に任命されたが、クラークも理事らもホームステッド法に基づく入植者(その1人がハッチングズであった)を立ち退かせる権限は持っていなかった。この問題は、1875年にホームステッド法による占有権が無効になるまで解決しなかった。1880年、クラークと現職理事らは更迭され、ハッチングズが新しい管理者となった。 公園へのアクセスや、ヨセミテ渓谷内での滞在環境はかなり改善した。1869年に大陸横断鉄道が完成してから、観光客の数は大きく増えたが、公園まで長い時間馬に乗らなければいけないのが障害であった。1870年代中頃、3本の馬車道が整備されたことにより、ヨセミテ渓谷への行き来の便は大幅に改善した。 スコットランド生まれの博物学者ジョン・ミューアが書いたこの土地についての論文は、社会の科学的関心を引いた。彼は、当時の通説に反対して、ヨセミテ渓谷の地形が氷河によって形成されたことを理論化した最初の人物の1人である。
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