ユニバーサルに入社するまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 10:12 UTC 版)
「ウォルター・ランツ」の記事における「ユニバーサルに入社するまで」の解説
ランツはカリトリ出身のイタリア系移民の子としてニューヨーク州ニューロシェルに生まれた。ジョー・アダムソンの著書The Walter Lantz Storyによれば、Lantzという姓は、両親が移民してきた際に入国審査官に英語風の姓として与えられたものだという。ランツは常に絵画に興味を持ち、12歳で通信の絵画学校を修了している。また、ウィンザー・マッケイの恐竜ガーティを見て影響を受けた。 自動車業界で働いていたとき、客であるフレッド・カフカがガレージの掲示板に書かれている彼の絵を気に入り、アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークの学費を支援してくれた。また、カフカはランツがウィリアム・ランドルフ・ハーストが経営するニューヨーク・アメリカンで印刷業務に従事することを助けた。ランツは昼間は新聞社で働き、夜間は絵画学校に通った。 ランツは16歳になると、グレゴリー・ラ・カヴァの元でアニメーション担当として働くようになった。その後、ブレイ・プロダクションズでJerry On The Jobシリーズに携わった。1925年にはDinky Doodleシリーズ(シンデレラ、赤ずきんなどの昔話を含む)の監督、作画、声優となり、ハル・ローチ(英語版)やマック・セネットらの実写映画との競争を試みていたブレイ・プロダクションズのプロデューサーに就任したが、すぐにバーノン・ストールズ(英語版)に取って代わった。ブレイ・プロダクションズは1927年に広告映画制作会社になり、ランツは友人ロバート・G.ヴィニョーラ(英語版)との議論の結果、ハリウッドへ移ることにした。ハリウッドでランツはピント・コルヴィッグとともに自らのアニメーションスタジオを立ち上げようとしたが、受け入れられそうになかった。ランツはフランク・キャプラやマック・セネットの元で働いたり、カール・レムリの車の運転手として働いたりもした。
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