ユダヤ教改革者としてのヨシヤ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 14:49 UTC 版)
「ヨシヤ」の記事における「ユダヤ教改革者としてのヨシヤ」の解説
8歳で即位したが、16歳頃にユダヤ教徒にとっての神ヤハウェを求め始め、20歳頃から規範的ヤハウェ信仰以外の宗教信者の崇拝崇敬する像を偶像と侮蔑して取り除き始めた。長じてユダヤ教の改革を通した国家の再建を志し、規範的ヤハウェ信仰以外の宗教の信者を弾圧し、その神々の像を偶像と侮蔑して破壊するなど、ヤハウェ信仰国家としてのユダ王国の路線を再確立し、申命記改革と呼ばれる大規模な改革を行った。このことから旧約聖書の中では優れた王として描かれる。祭司ヒルキヤが改革を助けた。 ユダヤ教聖典の記述が正しいとするならば、ヨシヤは、規範的ヤハウェ信仰への強い信仰と誇りを持っていたし、それを実際の政策でも反映させた。これには世俗的動機とのつながりもあり、純粋な精神世界だけの理由ではない。多くの世界同様、当時のオリエントでも、国家の独立とは、信ずる神の独立であり、逆に国家の隷属とは、その国家の信ずる神が、宗主国の神の下部に置かれたり、はなはだしいばあい信仰を禁じられ、宗主国の神(ユダヤの場合、バビロニアやエジプト、ギリシャの神々を押し付けられた。またユダ王国やイスラエル王国も、モアブなどの属国にヤハウェ信仰を強制した)を拝まされることであった。ヨシアはアッシリアの衰退によって生じた権力の空白に伴いユダ王国の独立を回復したが、アッシリアやエジプト、フェニキア人諸国家、バビロニアなどと対等な独立国家・独立民族であるユダ王国・ユダヤ人が他国の神を拝めることは、信仰心からだけでなく世俗的誇りとしても許せなかったし、ユダ国家の自立を宣言する上で民族神へのゆるぎない忠誠と結束は、ユダの独立を守る決意を示すパフォーマンスでもあった。
※この「ユダヤ教改革者としてのヨシヤ」の解説は、「ヨシヤ」の解説の一部です。
「ユダヤ教改革者としてのヨシヤ」を含む「ヨシヤ」の記事については、「ヨシヤ」の概要を参照ください。
- ユダヤ教改革者としてのヨシヤのページへのリンク