モンテ・アルバンの立地条件及び建設の契機とは? わかりやすく解説

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モンテ・アルバンの立地条件及び建設の契機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/22 22:10 UTC 版)

モンテ・アルバン」の記事における「モンテ・アルバンの立地条件及び建設の契機」の解説

モンテ・アルバンは、周囲との比高400m小高いの上という立地条件から、農業用水飲み水確保に向かず、大部分食料輸入に頼らざるを得なかったと思われるが、一方で盆地一望できる天然要害位置しオアハカ3つの盆地結びつける交通の要衝でもあったと考えられる。このことから、かつては外敵に対してオアハカ盆地の諸センター連合し盆地中央中立的な新首都」を建設した考え研究者もいた。また、このような小高いの上祭祀センター築いたのは、サポテカ人々にとって山が宗教的に神聖重要な場所であったことを意味しているとも考えられるが、現在は、モンテ・アルバン建設される直接契機になったのは、先古典期中期から後期にかけてのオアハカ盆地勢力争い激化であると推察されている。というのは、モンテ・アルバン建設される直前時期それまで盆地の底に集落築かれていたのが、丘の上防御機能持った集落次々と建設されるうになることが判明してきたからである。 勢力争い中心になるのは、モンテ・アルバン建設直前最大祭祀センターである盆地北部エトラ(Etla)谷に立地するサン・ホセ・モゴテ盆地東部のトラコローラ(Tlacolula)谷地域の勢力盆地南部のバジェ・グランデ(Valle Grande)又はサアチラZaachila谷地域の勢力であった。後二者が、サン・ホセ・モゴテ対抗してモンテ・アルバン築いたという説と、逆にトラコローラ、バジェ・グランデ連合対抗してサン・ホセ・モゴテモンテ・アルバン築いたという二つの説が考えられている。 サン・ホセ・モゴテはじめとするオアハカ盆地遺跡長年わたって調査してきたマヤ文明の諸都市の関係についての研究世界的に知られているジョイス・マーカス(Marcus,Joyce)と夫君ケントV.フラナリー(Flannary,Kent V.)は、後者の説を支持している。その理由として、モンテ・アルバンIa期の土器様式建築様式、暦、文字体系は、直前ロサリオ期の様式受け継いだものが多くまた、後述する「踊る人々(Danzantes)」の石彫は、サン・ホセ・モゴテ石碑3号系譜を引くものであり、ペルーチャビン文化遺跡セロ・セチン比較する研究者がいるもののメソアメリカには類例がないものであることが考えられる

※この「モンテ・アルバンの立地条件及び建設の契機」の解説は、「モンテ・アルバン」の解説の一部です。
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