メディアデビュー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 21:18 UTC 版)
漫画雑誌『ガロ』1993年10月号の特集「根本敬や幻の名盤解放同盟/夜、因果者の夜」で根本敬によるインタビューで「村崎百郎」としてメディアに初登場する。この際に工員と名乗り、工員風の似顔絵つきで紹介されている(ペヨトル工房勤務だから「工員」にしたとのこと)。続けて『宝島30』1994年8月号でも根本の連載「根本敬の人生解毒波止場」で33歳の工員としてゴミ漁りのインタビューが掲載された。 その後、世紀末に端を発した鬼畜ブーム・悪趣味ブームの中でライター活動を本格化させ、ブームの到来を宣言した『ユリイカ』1995年4月臨時増刊号「総特集=悪趣味大全」に「ゲスメディアとゲス人間/ワイドショーへの提言」と題した原稿を寄稿、これがライターデビューとなる。 この原稿の中で村崎は「電波」と自称する神や悪魔の声(あるいは他人の妄想や悪意)が生まれつき常時聞こえてくるという「電波系」の特異体質であることを打ち明け、熟練した現在では「電波」に流されることなく感情をうまくコントロール出来ていると語っている。その後も精神病理専門誌『imago』(青土社)に「電波」にまつわるエッセイを複数回執筆する。また幻想文学に傾倒していた村崎はアントナン・アルトーやウィリアム・S・バロウズについての電波評論を『ユリイカ』(青土社)に度々寄稿しており、それらの原稿は没後『村崎百郎の本』(アスペクト)に再録された。
※この「メディアデビュー」の解説は、「村崎百郎」の解説の一部です。
「メディアデビュー」を含む「村崎百郎」の記事については、「村崎百郎」の概要を参照ください。
- メディアデビューのページへのリンク