メキシコ独立革命における活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 07:44 UTC 版)
「ホセ・マリア・モレーロス」の記事における「メキシコ独立革命における活躍」の解説
1810年に始まったメキシコ独立革命において、モレーロスは戦略家としての才能を示し、もっとも優秀な指導者の一人となった。1810年、モレーロスは、イダルゴ神父らが蜂起したことを聞き、イダルゴ神父の軍勢がバリャドリードに立ち寄る際に、自らもバリャドリードに戻り、面会した。イダルゴ神父の説得で蜂起に加わることを決め、一旦カラクアロに戻り、そこから20名の同志と共に南へ向けて出発した。途中、各地で民兵が加わり、約700名の軍勢となった。モレーロスは、最初の9ヶ月間で22回の勝利を収め、3つのスペイン軍部隊を撃破し、現在のゲレーロ州に当たる地域を占拠した。同年12月には、サンディエゴ要塞を除くアカプルコを占領した。翌1811年1月に、スペイン軍援軍はモレーロスの包囲を解いたが、モレーロスはすばやい進軍で現在のミチョアカン州やゲレーロ州に当たる太平洋沿岸地域のスペイン占有地を手中におさめることができた。1811年5月24日にはチルパンシンゴ(Chilpancingo)を占領し、5月26日にはティクストラ(Tixtla)を得た。 第2次作戦においては、モレーロスは軍を3グループに分けた。この作戦における最も重要な戦闘は、クアウトラ(Cuautla)で行われた。1811年のクリスマスイブには住民たちに街に迎え入れられた。翌1812年2月9日から、クアウトラの街はスペイン軍によって包囲された。包囲から58日後の5月2日、モレーロスは包囲を破り、第3次作戦を開始した。第3次作戦の主要な勝利は1812年6月8日にシトラ(Citlala)、8月10日にテワカン(Tehuacán)、その他にオリザバ(Orizaba)、オアハカ、アカプルコでなされた。1812年10月28日、モレーロスは1万の兵でオリザバに到達した。街は600名のスペイン兵が守っていたが、交渉によって無血降伏し、1812年11月25日にモレーロスはオリザバに入った。アカプルコは1813年4月12日に陥落させ、サンディエゴ要塞からスペイン軍を放逐した。
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