メキシコ盆地への移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 07:21 UTC 版)
「アステカ神話」の記事における「メキシコ盆地への移住」の解説
メシカの伝説では、4つの集団が外部からメキシコ盆地にやってきた。最初の集団はチチメカ、2番目がテパネカ、3番目がアコルワ、4番目がメシカであった。ディエゴ・ドゥランによると、メシカは洞窟あるいは泉から生まれ、アストランと呼ばれる所に住んだ。アストランの位置は明らかでないが北方にあり、テノチティトランと同様に湖の中の島だった。アステカという名前はアストランに由来する。 アストランからの移住については文献によって大きく異なる。あるいは人々はアストランを離れてチコモストク(7つの洞窟)という所に至り、そこでテパネカ、アコルワなど7つの部族に分かれて南下したともいう。 ウィツィロポチトリに導かれた集団は民族名としてメシカを名乗り、長い年月をかけてメキシコ盆地にやってきた。しかしメシカは最後にやってきたために、先にこの地に住んでいる集団と軋轢を起こした。メシカははじめテスココ湖の西のチャプルテペクに住んだが、戦いに敗れて追いだされた。それから南のコルワカンの領主に従属してティサアパン(今の大学都市附近)に住むことを許された。コルワカンはトルテカ以来の高い文化を持つ都市だった。しかしコルワカンの支配層の娘をウィツィロポチトリの生贄にささげたためにコルワカンの人々を怒らせ、そこを追いだされてテスココ湖の中の無人島まで逃げた。 彼らが島に上陸したとき、彼らはノパル(オプンティアに属するサボテン)に一羽のワシがとまっているのを見た。この光景は、ウィツィロポチトリの神官が幻影に見た目的の地であると見なされた。メシカはそこに都市を築いた。これは2の家の年(通常1325年と解釈される)のことだった。これがテノチティトランであり、今日のメキシコシティの中央部にあたる。この伝説は現在のメキシコの国旗やメキシコの国章に描かれている。
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