ムルシー解任後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 23:37 UTC 版)
「2013年エジプトクーデター」の記事における「ムルシー解任後」の解説
2011年のエジプト革命では民政移管が遅れたことで軍に対するデモが発生したことへの反省から、7月8日に憲法改正や大統領選挙、議会選挙を行うとする大統領令が出され、7月20日には大学教授や裁判官、各勢力の代表者などから成る憲法起草委員会が設置されるなど、民政移管が急がれた。 大統領解任後もムルシーは拘束された状態が続いた。潘基文国連事務総長や欧米諸国などから釈放を求める声があがっていた が、暫定政権は応じなかった。 さらに、7月4日にムスリム同胞団最高指導者ムハンマド・バディーウが逮捕され、7月5日にはムスリム同胞団副団長で事実上の最高実力者であるハイラト・シャーテルも拘束されるなど、多くの幹部が拘束された。また、銀行口座の凍結や、同胞団系メディアの閉鎖が行われた。7月29日には、ムルシー支持派であるワサト党の党首と副党首が拘束された。8月4日、クーデターを批判し、ムルシー支持派のデモに参加する意向を示していたイエメン人でノーベル平和賞受賞者のタワックル・カルマーンがカイロの空港でエジプト入国を拒否された。 ムルシー政権を支持する人々は、選挙で選出されたことを根拠に正統性を主張し、ムルシー復権を求めるデモを継続している。7月26日深夜から27日朝にかけて、カイロ郊外のナスル・シティーで、中央治安部隊がムルシー支持のデモ隊に攻撃をかけ、75人以上が死亡した。治安部隊側には死者は出なかった。この件に関し、ムルシー支持のムスリム同胞団側は、治安部隊が実弾を使用した、と指摘、イブラヒーム内相は実弾使用を否定している。
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