ムルシー大統領の組閣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 23:37 UTC 版)
「2013年エジプトクーデター」の記事における「ムルシー大統領の組閣」の解説
ムスリム同胞団では2009年にアブドルモネイム・アブールフトゥーフら改革派メンバーが放逐され、ハイラト・シャーテルら保守勢力が台頭していた。長い独裁政権が続き、議会政治の経験が乏しかったエジプトで、分立した少数リベラル政党(ただし、人民議会選挙で世俗・リベラル勢力は、エジプト・ブロックを結成して選挙に参加している。)が議会をボイコットする中、ムルシー大統領が選挙前になされた多分野から人材を登用するとしたフェアモント合意に反し、次第に反対勢力の排除を進めてイスラム主義勢力のみを重用 したことがこのクーデターの背景にあるという指摘があるが、実際には、政権末期の2013年5月に行われた内閣改造の段階に至っても35人の閣僚のうち自由公正党及び同胞団系は10人に過ぎず、クーデター後のベブラーウィー内閣でも内相や観光相など7人の閣僚が続投しており、イスラーム主義者ばかりを用いていたわけではない。
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