ムルジ大統領時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/20 14:40 UTC 版)
「グアンダ・チャクアンバ」の記事における「ムルジ大統領時代」の解説
「1999年マラウイ総選挙」を参照 1999年2月、マラウイ会議党は5月に行われる予定の総選挙に向けて、民主同盟 (AFORD) との選挙協力を結ぶことを発表した。チャクアンバは選挙協力の見返りとして、民主同盟の党首であったチャクフワ・チハナを副大統領候補として指名した。この、チャクアンバが副大統領にジョン・テンボなどのマラウイ会議党内の有力なメンバーを指名しなかった行動は、党内に深刻な亀裂を生じ、結果として、テンボの支持者数千人がチャクアンバの辞任を要求するデモを行うまでに至った。 1999年6月15日に行われた大統領選挙の結果、ムルジは再び勝利し、チャクアンバは約45%の得票率で敗北した。国際選挙監視団は、選挙の大部分は公正かつ自由であったことを宣言したが、マラウイ会議党と民主同盟は高等裁判所に対し、ムルジ当選に異議を唱える請願と、16の選挙地域での不正を主張する請願を提出した。なお、裁判所はこの請願を棄却した。 2002年10月、チャクアンバは"ムルジが大統領の三期目に出馬するために必要な憲法改正に協力した議員には賄賂を払う"と主張したとされる手紙を偽造した容疑で逮捕された(その後、保釈金を支払って保釈された)。 「2004年マラウイ総選挙」を参照 2004年度の総選挙の数ヶ月前、チャクアンバはマラウイ会議党から去り、共和党(RP)を設立した。この共和党は、その他の6つの党で結成していた野党連合のムグウイリザノ連合へ強引に加わり、チャクアンバはこの選挙同盟の大統領候補として選出された。2004年5月20日に行われた選挙の結果、当選したのは統一民主戦線のビング・ワ・ムタリカで、チャクアンバは得票率を25.7%を獲得したが、ムタリカとマラウイ会議党のテンボに次ぐ第3位であった。
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