ムルターン城の包囲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 21:30 UTC 版)
アレクサンドロスは2つに別れた軍を整え、一方は彼自身が率いて、もう一方はペルディッカスが率いた。インド人はほとんど即座に城に撤退し始めた。この城は強固であり、城壁は1.6kmにも及んだ。しかしアレクサンドロスはこの門に無理やり押し入る事が出来、城の外の部分へと進んだ。マケドニア軍は次の城壁を掘り始めた。 アレクサンドロスは攻城戦のペースに苛立ち、彼は自ら梯子を昇った。彼に続いたのは2名の兵士のみであった。他の兵士たちはアレクサンドロスの身の危険を心配し、彼を守るために梯子を押しあった。梯子にあまりにも多くの兵士が殺到したため、梯子は重さに耐えきれず崩壊した。マッロイ人は誰がアレクサンドロスか理解し、彼に殺到した。多くのアレクサンドロスの兵士は手を差し伸べ、飛びながら彼の名を呼んだが、アレクサンドロスはそれに応じなかった。 アレクサンドロスは場内を飛ぶように行動して、マッロイ人の指導者を殺害した。しかし矢が飛んできて、アレクサンドロスの肺を貫き、彼は重傷を負った。マケドニア軍はアレクサンドロスが死んだと信じた。この都市の入り口を確保した後、マケドニア軍は報復のためにマッロイ人を皆殺しにした。
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