ムスカウ公園とは? わかりやすく解説

ムスカウ‐こうえん〔‐コウヱン〕【ムスカウ公園】


ムスカウ公園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/14 04:49 UTC 版)

ムスカウ公園/ムジャコフスキ公園
ドイツポーランド
新城(Neues Schloss)
英名 Muskauer Park /
Park Mużakowski
仏名 Parc de Muskau /
Parc Muzakowski
面積 348 ha
(緩衝地域 1204.650024ha)
登録区分 文化遺産
登録基準 (1),(4)
登録年 2004年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
使用方法表示

ムスカウ公園(ムスカウこうえん、ドイツ語: 通称 Muskauer Park, 正式名称 Fürst-Pückler-Park Bad Muskau, ポーランド語: Park Mużakowski)はドイツポーランドの間を流れるナイセ川にまたがるイギリス式庭園。560ヘクタールもの広さをもつ。ドイツ側はバート・ムスカウ英語版、ポーランド側はウェンクニツァ英語版の町に接する。

歴史

この地を所有していたドイツのヘルマン・フォン・ピュックラー=ムスカウ侯爵は、その頃イギリスで流行していた風景式庭園の手法に基づいて1815年に造園に着手した。彼はや水流などの自然物を風景画のように配置する一方、それらと調和するような建物の建築・改築を行った。こうして彼は30年間、この庭園の整備に関わり続けた。

1845年に彼は経済的な理由から自身の所有地を手放さざるを得なくなるが、この地を買い受けたオランダの侯爵が、ピュックラー侯爵から造園を学んだエドゥアルト・ペツォルト英語版を雇い入れたことによって構想は引き継がれた。

第二次世界大戦末期のベルリンの戦いにおいてはこの地も戦場となり、庭園内の城や橋は被害を受けた。終戦後にはナイセ川が新たな国境線(オーダー・ナイセ線)となり、庭園は二つの国に分割された。

破壊された建造物のうち、旧城 (Altes Schloss) は東ドイツ時代の1972年に修復され、新城 (Neues Schloss) は現在修復が進められている。また、橋の修復も行われつつある。

2004年には景観デザインの傑作としてユネスコ世界遺産に登録された。

登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

外部リンク

座標: 北緯51度32分51秒 東経14度43分24秒 / 北緯51.547559度 東経14.723229度 / 51.547559; 14.723229




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ムスカウ公園」の関連用語

ムスカウ公園のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ムスカウ公園のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのムスカウ公園 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS