ムアンマル・アル=カッザーフィー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 16:07 UTC 版)
「アフリカ合衆国」の記事における「ムアンマル・アル=カッザーフィー」の解説
リビアの最高指導者であったムアンマル・アル=カッザーフィーは、アフリカ合衆国の建国を熱心に目指してきた政治家で、アフリカの更なる統一を目指し、アフリカ統一機構をアフリカ連合へ発展・改組すべく尽力した人物でもある。アフリカ連合の総会にて、通貨やパスポートの早期統一を訴え続けた。しかし、国内に多くの問題を抱えるアフリカ諸国が多い中で、アフリカ連合も欧州連合(EU)型の統合を目指したものの、アフリカ連合としての強い政治的な意思や結束力に欠ける面が多い。カッザーフィーは、早期の統一国家の建国を目指したが、状況が整っていないとの意見や主権の侵害などを心配する意見などの消極的な意見が多く、極めて困難である。2008年、カッザーフィーの特使として来日し、福田康夫首相(当時)に大佐からの親書を渡したシアラ副外相は、親書の中で、アフリカ合衆国の構想を日本が支持すれば、リビアの油田鉱区の開発権益などを日本企業に開放する考えを示した。 なお、カッザーフィーは2011年リビア内戦により地位を追われ、反体制派により殺害されている。その後はジンバブエの大統領ロバート・ムガベがプロジェクトに興味を示していたが、ムガベもまた2017年のクーデターにより辞任し、2019年に死去している。
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