アブドゥル・ラフマン・シャルガムとは? わかりやすく解説

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アブドゥル・ラフマン・シャルガム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/22 23:26 UTC 版)

アブドゥル・ラフマン・シャルガム
عبد الرحمن شلقم
生年月日 1949年(68–69歳)

対外連絡・国際協力書記(外務大臣
在任期間 2000年 - 2009年3月4日
革命指導者 ムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ大佐)

国連大使
在任期間 2009年 -
革命指導者 ムアンマル・アル=カッザーフィー
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アブドッラフマーン・シャルガムアラビア語: عبد الرحمن شلقم‎ 、Abdel Rahman Shalgam1949年 - )は、リビア政治家外交官2000年から2009年まで対外連絡・国際協力書記(外務大臣に相当)[1]

2009年3月4日、内閣改造に伴い外相ポストをムーサ・クーサ諜報庁長官と交代し、国連安保理リビア代表に任命された。外相在職中は最高指導者カッザーフィーの意向もあり、アメリカ・リビア間の関係改善が促進された。2009年12月31日から安保理非常任理事に選出されている[2]2011年の内戦が勃発した時点で国連大使の地位にあった。

カッザーフィーとは高校以来、50年の長き友人関係にあり、内戦当初、カッザーフィーに忠実な立場をとり、政権批判の立場に立つダバシ次席大使と対立したが、2月25日の国連安保理会合でカッザーフィー批判の演説を行った。演説の中では、ヒトラーなど古今の独裁者を引き合いに出しながら、時折涙を流しながら「国民に手を出すな。われわれは決して降伏しない」と訴えた[3]

脚注

  1. ^ Foreign ministers L-R”. Rulers. 2007年3月27日閲覧。
  2. ^ "Libyan spy chief named FM in reshuffle", AFP, 4 March 2009.
  3. ^ “リビア国連大使涙の演説”. 産経新聞. (2011年2月26日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/110226/mds11022618080008-n1.htm 2011年2月27日閲覧。 

外部リンク

先代:
ウマル・ムスタファ・アル=ムンタシル
リビアの外相
2000年 - 2009年
次代:
ムーサ・クーサ




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