ミュージック・ビジネス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 16:08 UTC 版)
ミュージシャンを廃業した翌年、集英社ニューヨーク支局の支局員を務め、それをきっかけに村上龍、北方謙三との交流が始まった。長期にわたる交流の中で、彼らの小説の登場人物のモデルにもなった。 1982年、ブロードウェイ・ミュージカルの仕事を始め、『Rock 'N Roll! The First 5,000 Years』のフィナーレを作曲、日本人初のブロードウェイ・ミュージカル作曲者となった。 翌年1983年は音楽プロモーション・ビデオ (PV) の制作会社を設立、その1年後には米国CBSレコード(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)とソロ・アーティスト契約が成立すると共に、ミュージック・ビデオ監督としての仕事も始まった。忌野清志郎とRCサクセションの『ベイビー!逃げるんだ (1983)』は、本格的な海外ロケのミュージック・ビデオとして、当時、最も大がかりなものであった。また、American Video Awardsを受賞した『I AM SIAM (1984)』、ラップ・ミュージックの元祖『RUN D.M.C. (1985)』のミュージック・ビデオも監督した。80年代半ばに人気を博したRUN D.M.Cは、船原がMTV 主催のSpecial Event at the Rits, New York Cityでディレクターを務めた際、ラップミュージックという分野がまだ無かった時代に、初めて彼らをメインストリームの音楽として紹介した。 1986年は、ブロードウェイ・ミュージカルとしてヒットし、トニー賞にもノミネートされたタンゴアルヘンティーノのアルゼンチン・タンゴを日本に紹介、当時、サントリーのTVコマーシャルにも起用されてブームを巻き起こした。これをきっかけにタンゴアルヘンティーノのほかBlack and Blue (1989年度トニー賞ノミネート)の演出も行なったクラウディオ・セゴビアとヘクター・オレゾリとの仕事が始まり、1991年、彼らの演出によるキューバ音楽とダンスのレビュー、『ノチェ・トロピカーナ』のエグゼクティブ・プロデューサーを務めた。
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