ミュンヘン - アウクスブルク鉄道および王立バイエルン鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 22:36 UTC 版)
「ミュンヘン - アウクスブルク線」の記事における「ミュンヘン - アウクスブルク鉄道および王立バイエルン鉄道」の解説
1835年ミュンヘンとアウクスブルクで二つの都市を結ぶ鉄道建設の為に法人 (Verein) が設立され、同年建設のプロジェクトは許可された。1836年バイエルン政府はこの路線の軌間を4フィート8.5インチ (1435 mm) で決定し、資金調達は民間部門で行うことになった。既にニュルンベルク - フュルト間のドヴィヒ鉄道を設計したポール・カミユー・ドニー (Paul Camille Denis、1795-1872) へ設計が頼まれた。1837年にデニーは設計・費用計算を確定するのができた。 1837年6月23日ミュンヘン=アウクスブルク鉄道会社 (München-Augsburger Eisenbahn-Gesellschaft) が設立され、翌年ミュンヘンで工事が始まった。1838年9月3日にアウクスブルク - シュピッケル区間が開通されたものの、その区間は馬車鉄道として運用された。建設作業はたやすくなかった。ハスペルモーア沼地の区間では大規模の排水工事が不可欠で、沼地問題は前例と経験なしに解決されねばならなかった。1840年9月14日にマイザッハ - アルトヘグネンベルク区間が開業されて、同年10月4日ミュンヘン - アウクスブルク鉄道は全区間で開業された。1844年ミュンヘン=アウクスブルク鉄道会社が少ない利益のため440万グルデンでバイエルン政府に売却された。1846年新しいアウクスブルク中央駅がローセナウベルクで建設された。 1894年8月中央駅のシュタンベルク側の乗降場からライム停車場まで通勤列車線 (Vorortbahn、Sバーンの前身) が複線で開通された。1895年5月通勤列車の専用線はパーシング駅まで延伸された。
※この「ミュンヘン - アウクスブルク鉄道および王立バイエルン鉄道」の解説は、「ミュンヘン - アウクスブルク線」の解説の一部です。
「ミュンヘン - アウクスブルク鉄道および王立バイエルン鉄道」を含む「ミュンヘン - アウクスブルク線」の記事については、「ミュンヘン - アウクスブルク線」の概要を参照ください。
- ミュンヘン - アウクスブルク鉄道および王立バイエルン鉄道のページへのリンク