ミュンヘン日本映画見本市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 00:51 UTC 版)
「小山明子」の記事における「ミュンヘン日本映画見本市」の解説
1959年(昭和34年)3月2日から3月6日まで開催された「ベルリン日本映画芸術の日」と3月6日から11日まで開催された「ミュンヘン日本映画見本市」に出席のため、3月1日、山梨稔(新東宝専務)、池広利夫(大映営業渉外部長)や芦川いづみ(日活)、大川恵子(東映)、大空眞弓(新東宝)、司葉子(東宝)、若尾文子(大映)ら他の映画会社各社代表女優たちと共に松竹代表女優としてドイツへ出発。1日、ベルリン着。ベルリンでの宿泊先はヒルトン・ベルリン。3日、記者会見。4日、CCCスタジオ訪問。 5日、ベルリンを出発しミュンヘンに到着。ミュンヘンでの宿泊先はケンピンスキー・ホテル・フィア・ヤーレスツァイテン(Hotel Vier Jahreszeiten (München))。7日、記者会見。9日、女優たちのサイン会が開催された。10日、バヴァリア・スタジオ(Bavaria Film)見学。11日の見本市終了後、ロンドン・パリ・ジュネーヴ・チューリッヒ・ローマ・香港(香港以外順不同)に立ち寄り、26日、山梨(新東宝専務)、芦川、大空と4人で日本航空機で約1か月ぶりに日本に帰朝。帰国時の4人のタラップ(屋根無し)での写真が現存する(小山はファッションとしての帽子と手袋をしている)。当時はまだ海外渡航自由化の前で、大変貴重なヨーロッパ訪問となった。 現地で上映された日本映画は『無法松の一生』(第19回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞作品)、『楢山節考』(木下惠介監督版)、『白蛇伝』(アニメーション映画)など。
※この「ミュンヘン日本映画見本市」の解説は、「小山明子」の解説の一部です。
「ミュンヘン日本映画見本市」を含む「小山明子」の記事については、「小山明子」の概要を参照ください。
- ミュンヘン日本映画見本市のページへのリンク