マックス・カヴァレラ在籍時代(1984年 - 1996年)
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1984年、マックスとイゴールのカヴァレラ兄弟を中心として、ミナスジェライス州ベロオリゾンテで結成。翌1985年にワグナーがサルコファーゴ結成のため脱退、パウロ Jr.とジャイロ・ガウデスが加入し、マックスがヴォーカルを兼任。同年、オーヴァードーズとのスプリット・アルバムでレコード・デビューを果たした。 1986年には、バンド名義でのフル・アルバム『モービッド・ヴィジョン』を発表する。同作は、翌年にはドイツのレーベル「シャーク」を通じてヨーロッパでも発売された。2枚目のアルバムを発表した後の1987年にジャイロが脱退。後任として、マックスのローディーを務めていたアンドレアス・キッサーが加入した。 ブラジルで活動していた当時はブラックメタル色の強いサウンドであったが、ロードランナー・レコードと契約しアメリカに本拠地を移す中で、洗練されたスラッシュメタル・スタイルに変遷。その音楽性は1991年の『アライズ』で頂点に達した。バンドは、同アルバムで全英アルバムチャートのトップ40入りを果たし、アメリカのBillboard 200でも初のチャート・インを果たして119位に達した。 折からのポスト・スラッシュ、グルーヴ・メタルムーブメントの中で発表した『ケイオスA.D.』(1993年)は母国ブラジルの民族音楽の楽器やリズムを取り入れた重みのあるサウンドで、ビルボードチャートのトップ40に入る。続く『ルーツ』(1996年)では、マイク・パットンやコーンのジョナサン・デイヴィスと共演する一方で、ブラジル人ミュージシャンやブラジル先住民族とも共演して、ブラジル伝統音楽の色を強く打ち出した。 しかし、1996年にイギリスで開催された「モンスターズ・オブ・ロック」のステージに立つ直前、息子が急死したことを知らされたマックスが、妻でありバンドのマネージャーでもあるグロリアと共に会場を去ってしまう。土壇場でボーカリストを失ったバンドは3人編成でステージに立つことを余儀なくされた。この出来事がきっかけとなりマックスはバンドを脱退した。
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