マシンの完成と、ダカール・ラリーからの撤退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 02:48 UTC 版)
「ヤマハ・XTZ750スーパーテネレ」の記事における「マシンの完成と、ダカール・ラリーからの撤退」の解説
1994年は、ダカール・ラリーのレギュレーションでプロトタイプマシンが出場できなくなったために不参加。1995年、そのレギュレーションが「15台以上市販されているマシンなら出場可能」と変更された。つまりホモロゲーションモデルを製作すればいいのである。そこで、YZE850Tスーパーテネレを改良したXTZ850Rを開発、製造。販売価格は当時の日本円で約300万円程度だったという。プライベーター(ダカール・ラリーの個人参加者)でもこのマシンを購入した者がおり、個人でもワークスマシンに乗ることができた。レースはペテランセルが優勝。なお、この年から車名が「YZE」から「XTZ」へと変更され、またペットネームもなくなった。 1996年、クランク角度を270度として不等間隔爆発とすればトラクションが増すことに注目。市販オンロードモデルヤマハ・TRX850のエンジンをベースとするXTZ850TRXにモデルチェンジ。ペテランセルがオフィシャルに軽油を給油されてしまうというトラブルに巻き込まれて順位を落とし、それに抗議してリタイア。しかし、エディ・オリオリが乗るXTZ850Rは無事に1位を獲得した。また、日本人の柏秀樹がホモロゲモデルを購入して出場したが、ペテランセル同様、軽油を給油されてしまい、リタイアした。 1997年から1998年、継続してXTZ850TRXが採用され、いずれもペテランセルが優勝を果たした。この年、ペテランセルは左手首に故障を抱えており、二輪でのダカール・ラリーから撤退することを決めた。それにあわせて、1998年限りでヤマハはワークスとしてのダカール・ラリーから撤退した。
※この「マシンの完成と、ダカール・ラリーからの撤退」の解説は、「ヤマハ・XTZ750スーパーテネレ」の解説の一部です。
「マシンの完成と、ダカール・ラリーからの撤退」を含む「ヤマハ・XTZ750スーパーテネレ」の記事については、「ヤマハ・XTZ750スーパーテネレ」の概要を参照ください。
- マシンの完成と、ダカール・ラリーからの撤退のページへのリンク