マクレランの追跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 05:18 UTC 版)
「メリーランド方面作戦」の記事における「マクレランの追跡」の解説
マクレランはその87,000名の軍隊を率いてワシントンを出て無気力な追跡に入った。マクレランは根っから慎重な将軍であり、12万名以上の南軍に対するものと考えていた。また、ワシントンの政府との議論を続けたままであり、首都を防衛する部隊が彼の元に出頭するよう要求していた。ポトマック軍は9月13日にフレデリックに到着した。そこで、北軍兵士が3本の葉巻を包んだまま誤って置き忘れられていたリーの詳細な作戦計画(特務191号)の写しを発見した。この命令書では、リーが軍隊を分け、地理的に分散した地点(ハーパーズフェリーとヘイガーズタウン)に派遣していることを示しており、それぞれの部隊が孤立して個別撃破される可能性があった。マクレランはこの情報の利点を活かすための決断をするまでに18時間も費やした。その遅れによりリー軍を打ち破る機会を逃した。 9月13日の夜、ポトマック軍はサウス山に向けて移動し、アンブローズ・バーンサイド少将の翼(第1軍団と第9軍団)はターナーズギャップに、ウィリアム・B・フランクリン少将の翼(第5軍団と第6軍団のうちダライアス・コウチ少将の師団)はクランプトンズギャップに向かった。サウス山は南軍がメリーランド州に入った後でブルーリッジ山脈に繋がる山に付けられた名前である。メリーランド州の東部をシェナンドー渓谷とカンバーランド渓谷から分ける自然の目印である。サウス山の峠を越えて行くのがリー軍に出逢うための唯一の道だった。 リーは、マクレランの性格にしては攻撃的な行動を観察し、また南軍同調者からリーの命令が敵に洩れていたことを知って、直ぐに自軍を集結させることにした。その侵攻を捨ててバージニアに戻るという選択はしなかった。それはジャクソン軍がハーパーズ・フェリーを完全には制圧していなかったからだった。その代わりに、シャープスバーグで陣を構える選択をした。一方で、北バージニア軍の1隊がサウス山峠で防御陣を布いて待機した。
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