マガリャンイスの報告書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 17:26 UTC 版)
以下にマガリャンイスの報告書に述べられている虐殺に関する記述を抜粋する。 「暴君はすぐさま、あの大きく、人口の多い都市(成都)を元々住んでいた人達のいない無人の孤立した状態に変えてしまった。まわりを囲むように流れていた河は朱く染められ、あたかも水ではなく血のようであった。その上、死体で満ちていたので、海に注ぐ、とても水量の多い河にもかかわらず、何日にもわたって航行することが不可能だった。河に隣接した都市や町はこのような残虐ぶりに恐れおののき、その理由を理解することができなかった。」 「注目すべきはこの暴君が官吏及び彼らに関する様々な事柄と、生員の称号に関する全ての事柄に対して持っていた憎悪である。この継母のような邪悪な心を満たすために、彼は公の布告により、次のごとく命令した。彼が総合的な試験をして、彼の宮廷と王国を支配する人々を選びたいので、試験を受けている、任官しているを問わず全ての挙人と、全ての生員は首都の宮廷にくるべしと。これらの人々はこの件に魅惑され、官吏の誉れに対して貪欲であったので、この暴君が知識人に対して行った処刑と残虐な行為を承知してはいたが、全員が彼に服従し、夢中になった。しかし、彼は毛筆のかわりに刀を、墨のかわりに彼らの血を与えた。彼らに対する不信から彼らを間違った思想の持ち主と呼び、唯の一人も容赦せず、総勢一万三千人を斬首した。」 「暴君は自分の全ての軍隊を率いて出発し、大人も子供も、少年も老人も殺した。彼は都市や町や村を焼き尽くし、その結果、全てが灰燼に帰し、唯の一軒も残らなかった。」 「一年後、我々がタタール人と一緒に戻ってきたとき、四川省の多くの土地を歩いてみたところ、そこはかつて人が居住していた土地ではなく、すでに野生の森林であり、人間というより虎や他の猛獣の棲家がふさわしいように思われた。」
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