マイソール王国と近隣諸国との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 14:20 UTC 版)
「第三次マイソール戦争」の記事における「マイソール王国と近隣諸国との関係」の解説
1784年3月、第二次マイソール戦争が終結したのち、デカン地方および南インドの情勢は不安定となった。1785年以降、マイソール王国はマラーター王国と交戦状態に入った。これには以下の理由があった。 第二次マイソール戦争中の1782年5月、マラーター王国の財務大臣ナーナー・ファドナヴィースはイギリスとサールバイ条約を結び、第一次マラーター戦争を終結させた。1780年、マイソール王国とマラーター王国は反英同盟を締結させていたため、これは盟約に違反するものであった。マイソール王国の支配者ティプー・スルターンはこの裏切りを恨み、マイソール王国とマラーター王国の対立は終わらなかった。 マラーター王国はマイソール王国に本国まで攻め入られ、これに苦しんだナーナー・ファドナヴィースは同くマイソール王国を警戒していたニザーム王国と同盟を組んで対抗した。その後、1787年2月にマイソール王国とマラーター王国との間で和睦が成立し、ガジェーンドラガド条約が締結された。 とはいえ、それ以降もマラーター王国はニザーム王国とともに、マイソール王国に対して警戒に当たり続けた。両国にとって、マイソール王国とティプー・スルターンの軍事的脅威による憂いを排除することはもはや最優先課題となっていたのである。
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