マイソール統治とウォー盗賊団との戦い (1799年-1802年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 10:09 UTC 版)
「アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)」の記事における「マイソール統治とウォー盗賊団との戦い (1799年-1802年)」の解説
戦後、要塞攻略の最大の功労者であるバード少将を差し置いて、アーサーがセリンガパタム要塞の総督に任じられ、マイソール全域の統治にあたることになった。アーサーは「公正、腐敗抑止、正直、約束の実行が統治の基本」と主張し、法律の整備と秩序の維持に努め、殖産興業を図った。また現地諸侯の権威を保障し、マイソール国民の雇用の創出にも励んだ。 一方この頃からインド南部でマラータ族の盗賊団首領ドゥーンディア・ウォー(英語版)の略奪が激しくなっていた。ウォーはセリンガパタム要塞陥落の際にそこから脱出することに成功し、同じく要塞から脱出した他の元マイソール兵たちとともに盗賊団を作って各地で略奪を行っていた人物だった。 アーサーは1799年8月にウォー盗賊団討伐に出陣した。ウォーの本拠地チテルドローグを攻め落とすことに成功したものの、この時にはウォーに逃げられた。逃げのびたウォーは1800年4月までに再び盗賊団を組織したため、アーサーが再度出陣し、同年9月までにはウォー盗賊団をインド半島の先まで追い詰めて、とうとうウォーを討ち取った。 1802年4月29日に少将(英語版)に昇進した。
※この「マイソール統治とウォー盗賊団との戦い (1799年-1802年)」の解説は、「アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)」の解説の一部です。
「マイソール統治とウォー盗賊団との戦い (1799年-1802年)」を含む「アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)」の記事については、「アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)」の概要を参照ください。
- マイソール統治とウォー盗賊団との戦いのページへのリンク