マイソール王国との関係とイギリスとの条約締結
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「ニザーム・アリー・ハーン」の記事における「マイソール王国との関係とイギリスとの条約締結」の解説
1761年、南インドのマイソール王国でムスリム軍人のハイダル・アリーが実権を握ると、その勢力拡大に乗り出した。そのため、ニザーム王国はマイソール王国と対立を強めた。そこにイギリス東インド会社が介入し、1766年3月以降ニザーム王国がかつてアウランガーバード条約でフランスに与えた北サルカール地方を占拠し始めた。 同年11月12日、ニザーム王国はインドに進出してきたイギリスといち早く友好条約を結び、その同盟国という形をとることとなった。その内容はニザーム王国が北サルカールを正式にイギリスに割譲するかわり、その要請に応じて軍事援助を提供すること、同地方の税収相当額から援助費用を差し引いた残額をニザームに支払うことなどを約した。 この最初の軍事保護条約を結んだ年をニザーム王国がイギリスの藩王国となった年とする場合がある。ただし、この友好条約に外交権を返上する旨が直接書かれていたわけではなく、外交権の喪失は後述の改定の結果によるものであり、王国が藩王国化したのは後述の条約によるものである。 1767年5月にニザーム王国はマイソール王国と同盟し、8月にイギリスと戦闘状態に入ったが(第一次マイソール戦争)、その圧迫を受けるようになった。1768年2月23日にニザーム王国は新たな友好条約を結ばされ、イギリスからの税収差額支払いの減額を決められた。 一方、ハイダル・アリー率いるマイソール軍は戦争を有利に進め、1769年3月にイギリスの拠点マドラスを包囲し、イギリスはこれに講和せざる得なかった。
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