マイソール王国との関係とイギリスとの条約締結とは? わかりやすく解説

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マイソール王国との関係とイギリスとの条約締結

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 14:10 UTC 版)

ニザーム・アリー・ハーン」の記事における「マイソール王国との関係とイギリスとの条約締結」の解説

1761年南インドマイソール王国ムスリム軍人ハイダル・アリー実権を握ると、その勢力拡大乗り出した。そのため、ニザーム王国マイソール王国対立強めた。そこにイギリス東インド会社介入し1766年3月以降ニザーム王国がかつてアウランガーバード条約フランス与えた北サルカール地方占拠し始めた同年11月12日ニザーム王国インド進出してきたイギリスいち早く友好条約を結び、その同盟国という形をとることとなったその内容ニザーム王国北サルカール正式にイギリス割譲するかわり、その要請に応じて軍事援助提供すること、同地方の税収相当額から援助費用差し引いた残額ニザーム支払うことなどを約した。 この最初軍事保護条約結んだ年をニザーム王国イギリス藩王国となった年とする場合がある。ただし、この友好条約外交権返上する旨が直接書かれていたわけではなく外交権喪失後述改定結果よるものであり、王国藩王国化したのは後述条約よるものである。 1767年5月ニザーム王国マイソール王国同盟し8月イギリス戦闘状態に入ったが(第一次マイソール戦争)、その圧迫を受けるようになった1768年2月23日ニザーム王国新たな友好条約を結ばされ、イギリスからの税収差額支払い減額決められた。 一方ハイダル・アリー率いマイソール軍は戦争有利に進め1769年3月イギリス拠点マドラス包囲しイギリスはこれに講和せざる得なかった。

※この「マイソール王国との関係とイギリスとの条約締結」の解説は、「ニザーム・アリー・ハーン」の解説の一部です。
「マイソール王国との関係とイギリスとの条約締結」を含む「ニザーム・アリー・ハーン」の記事については、「ニザーム・アリー・ハーン」の概要を参照ください。

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