マイソール側の連敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 17:18 UTC 版)
「第四次マイソール戦争」の記事における「マイソール側の連敗」の解説
ハリス率いる軍勢はゆっくりとした動きでマイソールへと進み、動き出せば数マイルに伸び、彼らの行李を持ち運びする従者を含めると後尾にさらに7マイルに伸び、その縦隊の総員は実に25万人を超えたという。 一方、ティプー・スルターンはこれに対してほとんど何もできなかった。彼は騎兵に山の上から騎兵に監視させたが、大規模部隊がゆっくりと動き続けるさまを半分あきらめながら見守ることしかできなかった。騎兵は前進を妨げようと攻撃を仕掛けることもしばしばあったが、マスケット銃の一斉掃射にあって多くの死体を野に晒すだけであった。 アーサー・ウェルズリーはこの縦隊と特に行李の多さ(去勢雄牛が12万匹いたのをはじめ、他に無数の馬と象がいた)に驚きを隠せず、その荷物を見て「材木以外は必要ない」と言い放った。 ティプー・スルターンは7年前、チャールズ・コーンウォリスが第三次マイソール戦争で行ったような同じ作戦を予想していたものの、ハリスはマイソール側が防備を備えていたバンガロールを避けて前進し始めた。そのため、彼は最も弱そうに見えたスチュアートの部隊に攻撃を仕掛けることにした。 3月6日、マイソール軍はシーダシールにおいてスチュアートの部隊と交戦したが、二倍以上の軍勢であったにもかかわらず、イギリス側に大きな損害を受けて撤退した(シーダシールの戦い)。 3月27日、マイソール軍は首都シュリーランガパトナから25マイルの地点マラヴァリにおいて、ハリスとウェルズリー率いるイギリス軍を迎え撃ったが、これも破られてしまった(マラヴァリの戦い)。この戦いでイギリス軍はほとんど損害を受けなかった。
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