ポプコン出場からデビューまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 23:30 UTC 版)
「Chage」の記事における「ポプコン出場からデビューまで」の解説
実家は祖父の代から福岡市の西通りで天ぷら店を営んでおり、Chageも学校卒業後は父の跡を継ぐ予定となっていたため、第一経済大学(現:日本経済大学)入学後軽音楽部に所属し音楽にのめりこみ、果ては留年した際には「気が済んだか?もういいだろ」と父に言われ、板前の修業にいく算段がついていた。 しかし、まだ在学中の1978年、高校時代からの友人で既に出場経験のあった宮﨑(飛鳥涼)に誘われて『第15回ヤマハポピュラーソングコンテスト』(通称・ポプコン)福岡大会』へ飛鳥とは別にエントリーした。父に「ちょっとだけ待ってくれ。思い出作りをさせてほしい」と1週間の猶予をもらいポプコンに出場すると、結果はチャゲが「グランプリ」を受賞し九州大会出場権を獲得、飛鳥が「最優秀歌唱賞」となった。まだ地方大会で優勝しただけではあったが、すっかりその気になったChageは、その場で父に電話して「ごめん、店は継げんわ」と言ったという。 その時、ヤマハのディレクターから「2人で組んでエントリーしてみないか」と誘われて『九州大会』に出場し(エントリー名は“チャゲ”)、「優秀曲賞」を貰う。同年秋に開催された『第16回ポプコン』で初めて“チャゲ&飛鳥”としてエントリーして念願のつま恋(静岡県掛川市)で開催される『本選会』への出場権を獲得(この時のチャゲ&飛鳥は7人編成のバンドだった)。本選会で「入賞」を果たした。 1979年の『第17回ポプコン大会』も本選まで出場しグランプリ獲得を目指したが、結果はまたも「入賞」となってしまった。結果は残念であったが、ヤマハに一目置かれていた彼らにはデビューの話が進行していく。しかしそれは、ボーカルを務めたチャゲと飛鳥の2人組でデビューするという方針であった。何度か断るも悩んだ末に残された5人の了承も得て承諾した。そして『第18回ポプコン九州大会』にゲスト出演という形で7人最後の演奏を行った。
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