ポプコン出場
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1976年、第一経済大学(現:日本経済大学)在学中に『第12回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称・ポプコン)福岡大会』に「葡蘭湖」(ブランコ)という7人組バンドで初めてエントリーする。翌年の『第13回ポプコン福岡大会』ではソロでエントリーするが(本名でエントリー)、いずれも落選となっている。『第14回ポプコン大会』には出場せず、1978年の『第15回ポプコン福岡大会』では友人の柴田秀之(=チャゲ)を誘って別々にエントリーした。その結果、誘われたチャゲが「グランプリ」を受賞し『九州大会』出場権を獲得、飛鳥が「最優秀歌唱賞」となった。その時、ヤマハのディレクターから「2人で組んでエントリーしてみないか」と誘われて『九州大会』に出場し(エントリー名は“チャゲ”)、「優秀曲賞」を貰う。同年秋に開催された『第16回ポプコン大会』で初めて“チャゲ&飛鳥”としてエントリーして念願の『つま恋本選会』への出場権を獲得(この時のチャゲ&飛鳥は7人編成のバンドだった)。本選会で「入賞」を果たす。1979年の『第17回ポプコン大会』も本選会まで出場しグランプリ獲得を目指したが、結果はまたも「入賞」となってしまった。結果は残念であったが、ヤマハに一目置かれていた彼らにはデビューの話が進行していく。しかしそれは、ボーカルを務めたチャゲと飛鳥の2人組でデビューするという方針であった。何度か断るも悩んだ末に残された5人の了承も得て承諾した。そして『第18回ポプコン九州大会』にゲスト出演という形で7人最後の演奏を行った。
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