ボートレース事業との関わり
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「笹川陽平」の記事における「ボートレース事業との関わり」の解説
1981年、全国モーターボート競走会連合会副会長に就任した笹川は、売上拡大に向けて様々な施策を打ち出し実施してきた。1985年電話投票の開始、1986年にはボートレース(以下「ボート」)界の悲願であった専用場外発売場「ボートピア」がオープン。1994年には同連合会会長に就任。レジャーの多様化、ライフスタイルの変化に対応するためにいち早くナイターレースに着目した笹川は、1984年に浜名湖ボート場で公営競技界初のナイターレースの実験を行う。しかし、その後1986年に大井競馬場で、1989年に伊勢崎オートレース場で開催され、ナイターレースは他の公営競技に先を越されたものの、1997年に桐生ボート場で初開催。 2000年には、連合会会長を退任し名誉会長に就任する。同年10月、笹川の指揮で動いていた公営競技界初の3連勝式投票法の発売が住之江ボート場で行われる。その後、競馬、競輪も追随。ボートの売上額はバブル経済の崩壊とともに1991年の2兆2000億円をピークに減少を続けているが、連合会副会長に就任した1981年には、すでに現在の厳しい時代に備え、そして当時の硬直化したボート界において新たな発想に基づき画期的な施策を打ち出していった。 なお、毎年12月に開催される賞金王決定戦競走(SG競走)は、ボートの話題性と選手やレースのステータスを高めていくため、1997年から優勝者に対する賞金額を1億円にしたのも笹川の発案であり、当時プロスポーツ界で一大会における最高の賞金として話題を呼んだ。 2009年3月、同連合会名誉会長を退任する。
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