ボートレーサー転向後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 23:58 UTC 版)
國學院大學卒業と相前後して安河内は「好きなだけ野球はやった。体格を生かせるし、勝負の世界に身を置きたい」との理由で競艇選手に転向を目指すことを決め、卒業前より入学試験直前までの間に体重を13kg落としたりなどの準備をした結果、國學院大學からのスポーツ推薦を勝ち取った上でやまと学校に合格を果たす。 やまと学校の卒業直前に実施している卒業記念競走で優勝しやまとチャンプとなり、晴れて競艇選手となったのは2012年後期からである。2012年11月2日の多摩川競艇場での一般戦競走でデビューした。師匠は峰竜太(登録番号4320)。同じ唐津市出身と言うことで峰の方から弟子として選手となった安河内をスカウトした。当時安河内は東京支部であったため、所属支部の異なるボートレーサーが師匠と弟子の関係になることは極めて珍しい事例であったが、この状態は安河内が佐賀支部に移籍したことで解消した。同じ支部に移籍後は峰との間でより緊密な関係となり、様々な教えを受けたりしている。 デビュー翌年の2013年1月4日、平和島競艇場のレースで初の1着となった。その後2016年9月26日の同競艇場のレース第19回日本財団会長杯」で初優勝した。 2018年1月28日の唐津競艇場で開催のG1「全日本王者決定戦」で初のG1での1着となった。同年にはプレミアムG1のヤングダービー競走で優勝戦まで進出した(結果は3着)。
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