ホルムスク周辺鉄道駅の現況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 15:54 UTC 版)
「真岡駅 (樺太)」の記事における「ホルムスク周辺鉄道駅の現況」の解説
ソ連時代、ホルムスクは本土とサハリン島内の中継拠点の役割を担い、鉄道輸送体系も日本時代から大きく変化した。 西岸の動力車基地であるホルムスク機関区(旧真岡機関区)に隣接するホルムスク=セヴェルヌイ駅(旧北真岡駅, ст. Холмск-Северный, ホルムスク北駅)は、駅正面にソ連の漁業船団基地が設けられた。ソ連崩壊後、港はサハリンプロジェクトの資機材荷揚げの拠点港に再整備され、同駅と貨物線で直結したコンテナ基地が設けられた。また1997年のシャフタ=サハリンスカヤ─ホルムスク=ソルチローヴォチヌイ間旅客列車運行休止以降は、ホルムスクからユジノサハリンスク、チェーホフ=サハリンスキー(旧野田駅)およびトマリ(旧泊居駅)に向かう旅客列車の始発駅となっている。 一方、ポリャーコヴォ駅(旧手井駅)は、1973年のワニノ・ホルムスク鉄道連絡船就航にともない、ホルムスク海洋貿易港の連絡船桟橋に至るホルムスク操車場が開設されて鉄道連絡船と島内各地発着の貨物列車を中継する貨物拠点駅となり、1991年には操車場に合わせてホルムスク=ソルチローヴォチヌイ駅(ст. Холмск-Сортировочный, ホルムスク操車場駅)に改称した。 こうした中、ホルムスク=ユージヌイ駅は拠点駅としての機能を失ってローカル駅に転落した。ソ連末期には日本時代の駅本屋も使用されなくなって荒廃し、1992年に解体された。取り壊し直前には、廃墟化した駅本屋内に立ち入った日本人旅行者により、多数の日本時代の鉄道資料が持ち出され、その多くがのちに東海旅客鉄道(JR東海)に寄贈された。 日本時代の真岡駅 解体直前のホルムスク=ユージヌイ駅本屋(1992年) 駅本屋解体前のホルムスク=ユージヌイ駅構内(1992年)
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