ホルムズ海峡封鎖危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 15:56 UTC 版)
「マフムード・アフマディーネジャード」の記事における「ホルムズ海峡封鎖危機」の解説
「ホルムズ海峡」も参照 アメリカとの対決姿勢で一貫していたアフマディーネジャード政権下において、イランの対米関係は悪化を続けていた。そうした中で長年指摘が続けられていた核開発疑惑への報復として欧米諸国が禁輸処置を採った事に対し、保守派内で「報復としてホルムズ海峡封鎖を行うべき」との強硬派意見が現れた。 封鎖すれば世界経済に甚大な被害を与える事は明らかであり、バラク・オバマ米大統領が「必要ならば武力行使も検討する」と警告するなど急速にイランを取り巻く情勢は緊迫化した。 封鎖危機においてアフマディーネジャード本人は「イランの自主性」を主張しつつも外交的解決を模索するなど、決断力に欠ける姿勢から保守派内で孤立しつつある。また慈善政策の中止などの福祉削減案を発表した事で、重要な支持勢力であった貧困層の支持も離れる傾向にあると指摘されている。 2011年3月に行われた議会選挙は国内情勢を反映する形となり、保守派の中でも封鎖を支持するハーメネイー派が勝利する一方、アフマディーネジャード派は穏健派と共に敗北を喫している。 保守派内での主導権を失った事で、今後の封鎖問題に関する対応に変化が見られる可能性も指摘されている。
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