ペンダー帝国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/05 16:45 UTC 版)
「ケーブル・アンド・ワイヤレス」の記事における「ペンダー帝国」の解説
1852年、マンチェスターの木綿商人であったジョン・ペンダーが、電信会社BIM(British and Irish Magnetic)の重役らと金を出し合って、ロンドン・ダブリン間の電信を経営する会社を立ち上げた。このペンダーがケーブル・アンド・ワイヤレスの原点である。ペンダーは大西洋電信会社(Atlantic Telegraph Company)の重役となった。この会社は大西洋横断電信ケーブルを敷設すると新規事業を自力で開拓することが難しくなり、1864年にペンダーが大手ケーブルメーカー二社の合併を仲介し、テルコン(Telegraph Construction and Maintenance Company)を誕生させたが、翌1865年に破綻してしまった。ペンダーは新規にアングロ・アメリカン電信会社を立ち上げ、テルコンは同社の助けで再建に成功し、失ったケーブル所有権を回復した。1866年には大西洋間ケーブルを敷設した。 1868年、イギリスの電信買収法による電信の国有化に伴い、イギリス政府は電信会社の株主らに800万ポンドの補償金を充当した。BIMも例外ではなかったが、しかし海外のケーブルは対象外であった。 1870年、大北電信会社と勢力圏を協定した。大北の営業圏は香港以北、大東は上海以南とした。営業圏の重なる香港-上海間は協定によって利益配分された。5月14日付タイムズ紙より。この談合は大北が長崎へ進出する足場となった。この頃、大東のケーブルはテルコンのそれとマルタで接続し、マルセイユへ連絡した。 1872年、グループの4社がペンダーを会長としてイースタン・テレグラフ・カンパニー(大東電信会社)へ統合された。この頃、ペンダーの支配下にある海底ケーブルはポースカーノからジブラルタル、マルタ、スエズ運河、アデンを経由してボンベイに至る長さであった。1874年にポルトガル・ブラジル間のケーブルを傘下に収め、1878年に買収した。 1879年から第二次ボーア戦争にかけて、ペンダーは新会社を設立し、アフリカへケーブルを伸張した。 1889年、ペンダーは詐欺師のジャベツ・バルフォアと組んでMetropolitan Electric Supply Co. という電力会社を経営しており、この年に商務省からロンドン中心部の4箇所に電力の独占供給を許された。4箇所とは、リンカーン法曹院、コヴェント・ガーデン、メリルボーン、ブルームスベリー。こうした権益は送電網の合理化においてロンドンがベルリンに遅れる原因となった。
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