ペンスキー・PC27
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 02:50 UTC 版)
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カテゴリー | CART IndyCar | ||||||||
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コンストラクター | ペンスキー・カーズ | ||||||||
デザイナー | ジョン・トラビス | ||||||||
先代 | ペンスキー・PC26 | ||||||||
主要諸元[1][2] | |||||||||
シャシー | カーボンファイバーモノコック | ||||||||
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン, インボードスプリング/ショックアブソーバーユニット (プッシュロッド式) | ||||||||
サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン, インボードスプリング/ショックアブソーバーユニット (プッシュロッド式) | ||||||||
全長 | 4,877 mm (192 in) | ||||||||
全幅 | 1,994 mm (79 in) | ||||||||
トレッド | 前:1,730 mm (68 in) 後:1,630 mm (64 in) |
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ホイールベース | 2,972 mm (117 in) | ||||||||
エンジン | メルセデス・ベンツ IC108E 2.65 L (2,650 cc; 162 cu in) V8, プッシュロッドシステム シングルターボ ミッドシップ, 縦置きエンジン | ||||||||
トランスミッション | 6速 シーケンシャルマニュアル | ||||||||
重量 | 703 kg (1,550 lb) | ||||||||
燃料 | メタノール (76製) | ||||||||
オイル | モービル1 | ||||||||
タイヤ | グッドイヤー イーグル スピードウェイスペシャルラジアル 25.5in x 9.5in x 15in (前) 27in x 14.5in x 15in (後) |
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主要成績 | |||||||||
チーム | マールボロ・チーム・ペンスキー | ||||||||
ドライバー | ![]() ![]() ![]() ![]() |
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チームタイトル | 0 | ||||||||
コンストラクターズタイトル | 0 | ||||||||
ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||
初戦 | 1998年マールボロ・グランプリ・オブ・マイアミ | ||||||||
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ペンスキー・PC27(Penske PC-27)は、ペンスキーがCART用に開発・設計されたオープンホイールレースカーである。前モデルペンスキー・PC26をベースにして開発された。PC27は1998年、改良型であるPC27Bは1999年のCARTシーズンの一部で使用された。30戦出場し、最高成績は1998年バドワイザー500で記録した2位。PC27は、チームがカスタマーシャシーに完全に移行する前にペンスキーが製造した最後のCARTレーシングカーであった[3]。
歴史
1998年
PC27は開幕戦マイアミでデビューし、アル・アンサーJr.はトランスミッショントラブルでリタイア、アンドレ・リベイロは17位で終わった。もてぎ戦ではアンサーJr.は2位、リベイロは9位だった。ロングビーチ戦では、アンサーJr.はエリオ・カストロネベスと接触、リベイロはオイル漏れが原因でリタイアを喫した。リベイロはナザレス戦で予選落ち、アンサーJr.は15位で終わった。リオ戦ではアンサーJr.はエンジントラブル、リベイロはトランスミッショントラブルで2回目の両ドライバーともリタイアした。 デトロイト戦では、アンサーJr.はトランスミッショントラブルでリタイア、リベイロは16位でフィニッシュした。両ドライバーともポートランド戦を完走し、アンサーJr.は5位、リベイロは残り3周でトランスミッショントラブルでストップしたが、結果的に15位でフィニッシュした。クリーブランド戦では、アンサーJr.は残り4周でシフトリンケージのトラブルでストップしたが17位完走扱い、リベイロはトランスミッショントラブルでリタイア、アンサーJr.はトロント戦でのヘアピンでガルター・サレスと接触したにもかかわらず17位でフィニッシュ、リベイロはトランスミッショントラブルでリタイアに終わった。エルクハート・レイク戦では両ドライバーがリタイアに終わり、アンサーJr/はパトリック・カーペンティアと接触、リベイロはエンジントラブルが原因だった。両ドライバーともバンクーバー戦を完走し、アンサーJr.は5位、リベイロは7位となった。2戦連続で両ドライバーが完走したモントレー戦では、アンサーJr.が6位、リベイロが14位となった。3戦連続両ドライバーが完走したヒューストン戦では、アンサーJr.が7位、リベイロは17位となった。4戦連続両ドライバーが完走したサーファーズ・パラダイス戦では、アンサーJr.が22位、リベイロが13位となった。1998年シーズン最終戦カリフォルニア戦でリベイロは接触事故を起こし、アンサーJr.はオイル漏れが原因でリタイアを余儀なくされた。
1999年
チームはPC27をPC27Bに改良し、アンサーJr.もチームに残ったが、1999年2月にリベイロが引退したため、ペンスキーは1999年シーズンのほとんどを1台の車で走らせた。シーズン開幕戦はマイアミで、アンサーJr.がクラッシュして足を骨折した。アンサーJr.の代役としてブラジル人のタルソ・マルケスがもてぎ戦に出場し、14位で終わった。マルケスは、ロングビーチ戦でエリオ・カストロネベスおよびスコット・プルーエットと接触した後リタイアした。アンサーJr.はナザレス戦に復帰したが、クラッシュしてリタイアした。2台のPC27BがアンサーJr.とマルケスのためにリオ戦にエントリーし、マルケスは9位、アンサーJr.は12位で終わった。マディソン戦で、アンサーJr.はローラ・B99/00にスイッチ、マルケスはPC27Bを使い続けたが、クラッシュを喫してリタイアに終わった。チームは、次の5戦(ミルウォーキー、ポートランド、クリーブランド、エルクハート・レイク、トロント)でB99/00を使用した。PC27Bは、アンサーJr.とアレックス・バロンの2台のPC27Bでミシガン戦に戻したが、エンジントラブルにより2名共リタイアに終わった。チームは、次の5戦(デトロイト、レキシントン、シカゴ、バンクーバー、モントレー)でB99/00を使用した。PC27Bは、ヒューストン戦にアンサーJr.のみ使用し、15位でフィニッシュした。サーファーズ・パラダイス戦では、メカニカルトラブルによりリタイアとなった。シーズン最終戦のカリフォルニアには、アンサーJr.とバロンの2台のPC27Bがエントリーし、アンサーJr.は7位、バロンはクラッシュによりリタイアとなった。
脚注
- ^ “Penske PC-27”. Penske PC27. 2016年8月3日閲覧。
- ^ “Penske PC-27B”. Penske PC27B. 2016年8月3日閲覧。
- ^ “Friday favourite: The "trick" features that endeared Unser to Penske's forgotten car” (2024年5月31日). 2025年4月19日閲覧。
外部リンク
- ペンスキー・PC27のページへのリンク