ペナン攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 01:35 UTC 版)
「エムデン (軽巡洋艦・初代)」の記事における「ペナン攻撃」の解説
その後、エムデンはペナンに攻撃のため向かった。10月20日早朝、エムデンはハンプシャーおよびエンプレス・オブ・ロシアとすれ違ったが、イギリス側からは発見されなかった。同日、ノースキーリング島付近で待機するよう指示をしてエクスフォードを分離した。10月26日にニコバル諸島で石炭補給を行うと、シムルー島の西で待機するよう指示をしてブレスクともわかれた。 エムデンはマドラス攻撃時同様に4本煙突に擬装し、10月28日に未明にペナンへ接近した。港内に進入したエムデンはロシアの巡洋艦ジェムチュクを発見、距離300mで魚雷を発射し命中させる。続いて砲撃を行い、再度魚雷を発射。これも命中し、ジェムチュクは沈没した。次いで接近してくる船を発見して発砲したが、それは非武装の船であり攻撃は中止された。その船の煙突に命中弾があり、そこに穴をあけた。 港内から脱出したエムデンはイギリス貨物船グレンターレットを発見したが、臨検中に駆逐艦が現れたためグレンターレットは放免された。現れたのはフランスのムスケであり、エムデンの砲撃により撃沈された。エムデンはその生存者を救助した。ムスケ側はエムデンをイギリス巡洋艦と誤認していた。・ ペナン攻撃でエムデンは被弾することもなく、負傷者も出なかった。ペナン攻撃は連合国に対する大きな打撃となり、オーストラリアからの大規模船団はより強力な護衛が必要とされ運航が延期された。 10月30日にイギリス船ニューバーンを発見。この船でムスケの乗員をオランダ領の港へと送った。10月31日、ブレクスと合流。11月2日にブレクスから給炭を行い、11月8日にはエクスフォードとも合流した。
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