ペット・サウンズ/スマイル論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 22:48 UTC 版)
「マイク・ラヴ」の記事における「ペット・サウンズ/スマイル論争」の解説
ブライアンが『ペット・サウンズ』の作詞家トニー・アッシャーや『スマイル』の共同製作者ヴァン・ダイク・パークスに依存するようになり、マイクの地位は彼らに奪われることとなった。そのことが原因でマイクは、ブライアンと彼の1965年後半から1967年前半の作品に対し、ますます敵意を抱くようになった。それらの作品は現在、音楽評論家やファンたちから、ブライアンの経歴における最も創造的な時期の作品と広く認められる。 伝えられるところによれば、マイクは『ペット・サウンズ』のマテリアルに対してバンドが反対するように導き、特に「ハング・オン・トゥ・ユア・エゴ」の収録に反対した。しかしながら、この時点でブライアンはまだマイクの反対を押し切るほどのバンドに対する支配力を保持し、同曲は書き直され「救いの道」として結局収録されることとなり、アルバムは多かれ少なかれブライアンが意図したように完成した。マイクはパークスの詩に対して個人的な強い嫌悪感を明らかにしたが、彼はバンドが成功したイメージを放棄することによってその人気を失う危険を冒すことを心配したとしばしば語った。 マイクの『ペット・サウンズ』に対する見方に影響を及ぼしていたもう一つの要因は、ブライアンが1964年後半にツアーへの参加を取りやめスタジオ活動に専念することになった一方、マイクを始めとするバンドのメンバーはブライアンの創り出すますます複雑になった曲を演奏しなければならなかったことに対する不満である。ブライアンの急速な音楽的進歩が、バンドをますます困難な位置に追いやったことに疑いはない。「グッド・ヴァイブレーション」の場合、ブライアンはセッション・ミュージシャンを起用し数ヶ月の期間をかけて録音を行った。グループは単なるヴォーカリストに過ぎず、ブライアンの複雑なアレンジはバンドがステージで演奏するのをほとんど不可能にしていた。結果アレンジを簡略化したり、後年にはツアー・メンバーを補充したりして、ライヴでの演奏を乗り切ったが、レコードで聴ける深みのある音像には及ばなかった。 なお、2005年に、マイクは『ペット・サウンズ』をフェイヴァリットに挙げているものの、2004年にブライアンの手により完成された『スマイル』については「聴く気がしない。ビーチ・ボーイズで完成させた方がずっと良いものになったはずだ。」という見解を表明している。
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