ベトナムでの例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 16:06 UTC 版)
ベトナムでも避諱は行われたが、字だけでなく音も変えさせることがある点に特色がある。 李朝以前の諸王朝では避諱の存在は確認されておらず、最古の史料は陳太宗の建中8年(1232年)に出された令である。仏領期にも阮朝が存続していたため避諱自体は公文書を中心に維持されたが、植民地期の皇帝の諱は避けられなかったようである。 避諱の方法は中国で行われた改字・空字・欠画のほか、次の方法がある。偏と旁を転倒させる。このタイプの避諱ではしばしば字の上に「く」もしくは「人」形の記号を3つないし4つ並べる。これはもともと避諱の対象となる字を示すときに割注で「右従○、左従×」と表記していたため、この従字を簡略化したものである。 この変形として陳朝の陳字を分解して阿東と表記することも行われた。 欠画の変形として偏を削除・塗抹する。 鄭氏政権時代には、鄭氏の王号の一部も避諱の対象となった。例えば清都王鄭梉の清字は避諱の対象となっている。 黎朝期に提も避諱字とされて題が代わりに用いられたが、これは科挙の試験官である提調官に由来する。 日常で頻用される漢字が避諱字となった場合、その漢字の発音も変えられた。現代まで残っているものとして利lợi(黎朝太祖黎利の諱:本来の音はlì)、時thời(阮朝嗣徳帝の諱:本来の音はthì)などがある。阮朝皇帝家本宗は代々阮福○と名乗っていので、福(本来の音はphúc)はphướcと改音させられたが、字自体の使用は認められた。また、phướcの音は北部では普及しなかった。 宗tông(紹治帝の幼名)は尊tônと改められた。中南部方言では語末の-nと-ngの区別が無いために発音上は変化がないものの、クオックグーの表記上は区別する。だが、阮朝期を通じて互用された結果か、北部も含めて表記にも影響を与え、現代ベトナムの学術文献でもたとえば黎聖宗がLê Thánh tôn(漢越音に従えばLê Thánh tông)と表記されることがしばしばある。
※この「ベトナムでの例」の解説は、「避諱」の解説の一部です。
「ベトナムでの例」を含む「避諱」の記事については、「避諱」の概要を参照ください。
- ベトナムでの例のページへのリンク