ヘッド・スタート・プログラム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 08:41 UTC 版)
「ユリー・ブロンフェンブレンナー」の記事における「ヘッド・スタート・プログラム」の解説
1964年、ブロンフェンブレンナーは、反貧困法案に関連して議会下院の公聴会に呼ばれ、貧困が人の発達に及ぼす影響を減らすために、子どもたちを対象とする対策が採られるべきだと証言した。この観点は、子どもの発達を純粋に生物学的なものであり、その過程に経験や環境は影響しないと考えていた当時の支配的な見解とは、全く異なるものであった。この証言をきっかけとして、ブロンフェンブレンナーはホワイトハウスに招かれ、この問題について大統領夫人であったクラウディア=アルタ・レディ・バード・ジョンソンと話し合い、その中で他国の児童福祉プログラムについての議論を行なった。さらに、ブロンフェンブレンナーは、子どもの貧困へ対抗し、貧しい子どもたちを恵まれた生徒たちと公平な条件で等しく教育に就かせる方策の立案にあたる連邦委員会の一員として招聘された。ブロンフェンブレンナーは、精神と肉体の両面についての保健衛生をはじめ、教育、社会福祉援助技術(ソーシャルワーク)、発達心理学など、他の様々な分野から選ばれて集まった12人の専門家たちとともに、この課題に取り組んだ。ブロンフェンブレンナーは、プログラムにおいて子どもの発達にとってより良い環境を創り出すことにも重点が置かれるよう、悪影響から子どもたちを守る取り組みには子どもの家族や地域のコミュニティの関与こそが注力すべき焦点であることを委員会に認識させた。委員会の勧告は、1965年のヘッド・スタート・プログラムの創設につながった。ブロンフェンブレンナーの主張は、家族へのサポート、家庭訪問、親への教育など、ヘッド・スタートにおける環境要因の影響に対抗する手法の開発に役立てられたものと思われる。
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