プレミンジャー、ヒッチコックと
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 03:27 UTC 版)
「ソール・バス」の記事における「プレミンジャー、ヒッチコックと」の解説
タイトルデザイナーとして、1950年代から1970年代のバスの経歴の中で特筆されるのはオットー・プレミンジャー、アルフレッド・ヒッチコック両監督との仕事である。 バスのタイトルデザイナーとしてのデビュー以来、プレミンジャーとは密接な仕事ぶりで、『黄金の腕』(1955年)、『悲しみよこんにちは』(1957年)、『栄光への脱出』(1960年)、『枢機卿』(1962年)、『危険な道』(1965年)、『ローズバッド』(1975年)など、最後の共働となった『ヒューマン・ファクター』(1979年)まで11本にのぼり、バスが共働した監督の中で最多となっている。 一方『めまい』(1958年)のタイトルデザインで初めて組んだヒッチコックとの仕事は『北北西に進路を取れ』(1959年)、『サイコ』(1960年)の合計3本だけであった。しかし、『めまい』では映画に初めてコンピューター映像を取り入れた斬新なタイトルバックを制作し、『北北西に進路を取れ』のタイトルではキネティック・タイポグラフィを導入し、『サイコ』ではタイトルのみならず有名な“シャワー・シーン”の絵コンテも手がけるなど、ヒッチコック作品の高い評価に貢献した重要スタッフであった(バスは後年、絵コンテを書いたことから、“シャワー・シーン”の事実上の監督は自分だと主張したが、ヒッチコックの指示の下での絵コンテと考えられ、バスが監督したわけではないとの見方がほとんどである)。
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