プチブル哲学・哲学的権威の批判
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「ジョルジュ・ポリツェル」の記事における「プチブル哲学・哲学的権威の批判」の解説
同じ年に再びルフェーヴル、モランジュ、ギュテルマンと『マルクス主義評論(Revue marxiste)』誌を創刊し、ニザンのほか、労働社会学(フランス語版)の提唱者ジョルジュ・フリードマン(フランス語版)らが参加した。本誌はフランスで最初のマルクス主義理論の研究誌で、ポリツェルは創刊号にフェッリクス・アルノルト(Félix Arnold)の筆名でレーニンの『唯物論と経験批判論』に関する記事を掲載。一方、『具体的心理学評論』誌にはフランソワ・アルーエ(François Arouet)の筆名で「哲学天国ベルクソン主義の終焉」を発表した。この論文は没後1947年に『ベルクソン主義 - 哲学的欺瞞』として共産党出版局から再刊され、さらに他の雑誌に掲載された論文や既刊の論集に含まれる論文を編集して2013年に刊行された『ベルクソンらに抗して - 哲学的著作 1924-1939年』に再録されるが、ポリツェルは、理性主義や唯物論の立場からベルクソンの唯心論を批判しただけでなく、ベルクソン、ブランシュヴィックらを含む「現代のスコラ学派」の「過度に深遠な」哲学をプチブル哲学と呼ぶ。国家に危険をもたらすような(たとえばプロレタリア革命のような)真の問題解決を回避するために、問題の対象範囲を超える「抽象的」で「深遠」な解決を提唱する、すなわち「正確さを犠牲にして安全性を優先する」という意味でプチブル的であり、「質料のない哲学」であると主張する。ポリツェルはここで、政治的な観点から大学の哲学教育や哲学的権威を批判しているのであって、これは1932年にニザンが抗議文『番犬たち』でブランシュヴィックを「ブルジョワ思想を振りかざすソルボンヌの番犬」として痛烈に批判したのと同じ立場からの批判である。
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