ブラケットによる霧箱の改良(1920年代)
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「霧箱」の記事における「ブラケットによる霧箱の改良(1920年代)」の解説
1920年から、ラザフォードの研究室において、自動で圧縮・膨張を繰り返す霧箱の開発が始まった。この研究ははじめ清水武雄によって行われ、それを引き継いだパトリック・ブラケットの手により1922年に完成された。この霧箱はピストンが自動的に上下し、15秒に1枚の間隔で写真を撮影することができた。 ブラケットはこの霧箱を使って、窒素原子にアルファ線がぶつかる様子を撮影した。撮影した写真は23,000枚にのぼった。そしてそのうちの8枚に、入射したアルファ線の他に、1本の細く長い線と、1本の短く太い線の飛跡が写っていた。細く長い線は陽子と推定されたため、この反応はアルファ粒子が窒素原子に衝突して、窒素原子中の陽子をはじき飛ばした様子をとらえたものだと判断できた。しかも、はじき返されたアルファ線の飛跡が見えなかったため、このアルファ粒子は窒素原子と結合したと推定できた。この現象は、ラザフォードが1917年に発表した理論と一致するものであった。 また、1927年、スコベルツィンは初めて霧箱を使用して宇宙線の観測を行った。この観測は霧箱に磁場をかけた状態で行われたが、撮影された宇宙線の飛跡はほぼ真っ直ぐであった。そのため、宇宙線は磁場に影響されないだけの高いエネルギーを持っていることが明らかになった。さらに1929年には、飛跡が霧箱中の1点からシャワーのように分散する現象を観測した。また、ウィルソンは霧箱の開発により、1927年のノーベル物理学賞を受賞した。
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